2社間ファクタリングの問題を追及するとき、被害を受けた一人ひとりの取引だけを見ていると、どうしても限界がある。
一つの契約について、契約書には債権譲渡と書かれている。
利用者は「実質的には貸金だった」と主張する。
しかし、業者は「売掛債権を買い取っただけだ」と反論する。
この構図のままでは、結局、個別の契約についての争いに終わってしまう。
しかし、同じ業者が同じ形式の契約を使い、同じ説明を行い、同じ方法で利用者に金銭を交付し、同じ方法で回収していたのであれば、個々の取引を別々に見る必要はない。
そこには、一つの営業スキームが存在している可能性がある。
業者が作った仕組みそのものを見る
例えば、一つの業者について、
HPでは「売掛債権を買い取る」と説明している。
しかし、問い合わせをすると、担当者は「○日後に○万円を返してください」と説明する。
審査では、売掛先の信用力よりも利用者自身の資金繰りを確認する。
契約書では「債権譲渡」と記載する。
資金を交付した後は、売掛先からの入金を待つのではなく、利用者に支払期日を指定する。
期日になれば、利用者に一定額の支払いを要求する。
この一連の流れが複数の取引で繰り返されているのであれば、個別契約の問題を超えて、業者がどのような事業モデルを構築していたのかが問題になる。
重要なのは、一件の取引で何が起きたかだけではない。
業者が最初からどのような取引をする会社として存在していたのかである。
契約書は一件ごとに存在するが、営業スキームは一つである
個別の契約書は、それぞれの利用者との契約を示す。
しかし、契約書のひな型が同じであれば、それは業者が意図的に作った形式である。
HPの説明が同じであれば、それも業者が意図的に作った営業方法である。
担当者が同じ説明を繰り返していれば、それは偶然の発言ではなく、業者の営業教育や社内方針に基づくものかもしれない。
さらに、同じ方法で支払いを要求しているのであれば、それは担当者個人の判断ではなく、会社としての回収方法である可能性が高まる。
つまり、
契約書の共通性
説明の共通性
金銭の流れの共通性
回収方法の共通性
これらが重なれば、個別の取引を超えた「営業スキーム」が見えてくる。
「知らなかった」では済まなくなる
ここには、もう一つ重要な意味がある。
一件だけの担当者の発言であれば、業者は「担当者が間違った説明をした」と主張できるかもしれない。
一件だけの請求方法であれば、「特殊な事情があった」と説明できるかもしれない。
しかし、同じことが何十件、何百件と繰り返されているのであれば、その説明は難しくなる。
業者自身が作成したHP。
業者自身が作成した契約書のひな型。
業者自身が設定した手数料。
業者自身が定めた支払期日。
業者自身が行う回収方法。
これらが一貫して同じ方向を向いているなら、それは「担当者のミス」ではなく、業者が意図的に構築した仕組みとして評価される可能性がある。
一件の録音が「会社の証拠」になる可能性
ここで、個別取引の録音にも別の意味が生まれる。
一人の担当者が「○日後に返してください」と発言していたとしても、それだけでは、その発言が会社全体の営業方針だったとは限らない。
しかし、別の利用者が別の担当者から同じ説明を受けていた場合はどうだろうか。
さらに、その説明とHPの記載が一致していた場合はどうだろうか。
そして、実際の契約書や請求方法も同じだった場合はどうだろうか。
このように証拠が複数の取引にまたがって一致すると、個別の録音が単なる一利用者の証拠ではなく、会社全体の営業方法を示す資料として意味を持つ可能性が出てくる。
ここに、個別事件を超えて業者の営業実態を追及する意味がある。
被害者を「点」で扱わない
2社間ファクタリングの被害を考えるとき、被害者一人ひとりを別々の事件として扱うと、業者側にとって有利な構造になりやすい。
Aさんの契約。
Bさんの契約。
Cさんの契約。
それぞれが別々の事件として扱われれば、業者はその都度、
「この契約は債権譲渡だった」
「この説明は担当者個人のものだった」
「この請求は特殊な事情によるものだった」
と個別に争うことができる。
しかし、Aさん、Bさん、Cさんの取引を並べてみる。
すると、同じ契約書。
同じ説明。
同じ手数料。
同じ支払期日。
同じ回収方法。
同じ担当者の発言。
そこに共通する構造が存在しているなら、それはもはや個別の偶然ではない。
業者が最初から設計した一つの営業モデルとして見る必要が出てくる。
本当に追及すべきなのは「誰が悪いか」だけではない
この問題を追及する際、「悪質な業者を見つける」という視点だけでは不十分である。
本当に明らかにすべきなのは、
その業者がどのような仕組みを作り、どのような形式を用い、どのような説明を行い、どのように金銭を交付し、どのように回収していたのか
ということである。
そこまで明らかになれば、「この担当者が悪かった」「この契約だけがおかしかった」という個別の問題ではなくなる。
会社が作った仕組みそのものが問題だったのではないかという問いになる。
そして、その問いに答えるためには、被害者一人の証言だけではなく、業者自身が公開した情報、複数の利用者の証言、複数の契約書、録音、メッセージ、請求書、銀行口座の記録を一つの構造として整理する必要がある。
形式を超えるためには「繰り返し」を見る
契約書一枚だけでは、業者は「債権譲渡だった」と言える。
録音一本だけなら、「担当者の説明ミスだった」と言える。
HPの一文だけなら、「広告表現だった」と言える。
しかし、それらが同じ方向を向いているとき、その一つひとつを別々の証拠として評価するのではなく、業者が反復継続して行っていた取引の一部として見ることができる。
だからこそ、2社間ファクタリングの実態を明らかにするためには、「一件の契約を崩す」だけでは足りない。
必要なのは、業者が作り上げた営業スキームそのものを可視化することである。
契約書は形式を示す。
HPは営業上の説明を示す。
録音は実際の言動を示す。
入出金記録は金銭の流れを示す。
請求記録は回収の実態を示す。
複数の利用者の事例は、その仕組みが繰り返されていたことを示す。
これらを一つにつなげたとき、初めて「この業者は一体何をしていたのか」という本質的な問いに答えることができる。
2社間ファクタリングの本当の問題は、契約書の一枚だけを見ていては見えてこない。
契約書の外側にある業者の言葉と行動を集め、その一つひとつをつなげる。
そうすることで、形式として作られた「債権譲渡」の向こう側に、業者が実際に行っていた取引の全体像が浮かび上がってくるのである。

