2社間ファクタリングをめぐる裁判では、契約書に何と書かれているかが出発点になる。しかし、それだけで取引の実態を理解できるのであれば、これほど多くの紛争が生じることはない。
契約書は、あくまでも契約締結の瞬間を切り取った一枚の書面にすぎない。一方で、実際の取引は契約書が作成される以前から始まり、契約締結後も続いていく。利用者はどのような説明を受けて契約を決断したのか。業者は何を基準に審査を行ったのか。そして資金を交付した後、どのような方法で回収を進めたのか。こうした一連の流れを切り離してしまえば、取引全体の姿は見えてこない。
だからこそ、契約書だけを見て「債権譲渡である」と結論付けることにも、「実態は貸金である」と断定することにも慎重でなければならない。本当に検討すべきなのは、契約書という形式ではなく、その形式の中で実際に何が行われていたのかという事実である。
契約の前後にある事実を一つの流れとして考える
利用者が業者を知るきっかけは、多くの場合、ホームページや広告である。そこにはサービスの内容や利用方法が説明されているが、それだけで契約が成立するわけではない。その後には問い合わせがあり、担当者とのやり取りがあり、審査があり、契約締結へと進んでいく。
さらに契約後には、資金の交付、支払期日の管理、利用者との連絡、売掛金の回収、あるいは利用者への請求という過程が続く。
これらは本来、一つの取引の中で連続して起きている出来事である。それにもかかわらず、裁判では契約書だけ、録音だけ、入出金だけというように個別の証拠が切り離されて議論されることが少なくない。
しかし、実際の取引は、そのように分断されて存在しているわけではない。
一つの証拠では分からないことがある
例えば、ホームページだけを見ても、その会社が実際にどのような取引を行っているかは分からない。担当者との録音だけでも、その発言が会社全体の方針なのか、個人的な説明なのか判断できない。銀行口座の入出金記録だけを見ても、その金銭の移動が何を意味するのかは読み取れない。
ところが、それぞれを時系列に並べると、今まで見えなかった関係が浮かび上がることがある。
ホームページに書かれた説明と担当者の説明が一致している。担当者の説明と契約後の請求方法が一致している。契約後の請求方法と実際の入出金記録が一致している。このような一致が積み重なったとき、それぞれの証拠は単独では持ち得なかった意味を持ち始める。
証拠は、それ自体が結論を示すものではない。ほかの証拠と結び付くことによって、初めて一つの事実を裏付ける力を持つのである。
繰り返される取引には共通した特徴が現れる
さらに視点を広げると、一人の利用者だけでは気付けないことも見えてくる。
ある利用者が受けた説明と、別の利用者が受けた説明がほとんど同じ内容であったとする。契約書の構成も同じであり、資金交付の方法や支払期日の管理、利用者への請求方法まで共通していたとすれば、それは偶然とは考えにくい。
会社は通常、利用者ごとに異なる契約制度を運用することはない。一定の契約書式を用い、一定の営業手順を定め、一定の回収方法を採用する。そのため、複数の取引に共通する特徴は、その会社が日常的に行っていた営業方法を知るための重要な手掛かりとなる。
この視点に立てば、一件の取引だけを切り離して評価することには限界があることが分かる。むしろ、複数の取引に共通して現れる特徴を積み重ねることによって、その会社が実際にどのような事業を行っていたのかが少しずつ明らかになっていく。
実態は一つの証拠ではなく全体像の中に現れる
2社間ファクタリングの実態は、契約書の一文だけに書かれているわけではない。また、録音の一言だけで説明できるものでもない。
利用者に対する説明、契約書の内容、資金交付の方法、実際の入出金、支払期日の管理、そして契約終了までのやり取り。それぞれは取引全体の一部分でしかないが、それらを一つの流れとして見たとき、初めて取引の実像が浮かび上がる。
だからこそ、この問題を考える際に最も重要なのは、個々の証拠を独立して評価することではない。それぞれの証拠がどのようにつながり、一つの取引を形作っているのかを丁寧に検討することである。
契約書は形式を示す。しかし、取引の実態は形式だけでは語れない。契約前から契約終了までの一連の事実を丹念につなぎ合わせていくことによって、初めてその取引が本当は何であったのかという問いに近づくことができるのである。

