2社間ファクタリングをめぐる裁判では、「証拠があるか」「事実が認定できるか」という点に注目が集まりやすい。しかし、裁判はそこで終わらない。
証拠によって事実が認定されたとしても、その事実が法律上どのような意味を持つのかという判断が残されている。
これが法的評価である。
裁判では、この段階を経て初めて契約の法的性質が決まる。
事実と評価は同じではない
例えば、裁判所が次のような事実を認定したとする。
業者は利用者に一定額の金銭を交付した。
利用者は一定期間後に業者へ金銭を支払った。
担当者は利用者に「返済」という言葉を用いて説明を行った。
売掛先からの入金がなくても、利用者に支払いを求める運用が行われていた。
これらは、いずれも事実認定の問題である。
しかし、この時点では、まだ「貸金契約であった」という結論には到達していない。
裁判所は、認定された事実を法律に照らし合わせ、その取引をどのように位置付けるのかを判断する。
つまり、法的評価とは、認定された事実に法を適用する作業なのである。
契約書の名称だけでは評価は決まらない
契約書に「債権譲渡契約」と書かれていることは重要な事実である。
しかし、その名称だけで法的評価が決まるわけではない。
もし契約書の名称だけで結論が決まるのであれば、どのような契約も自由に名前を付け替えることができてしまう。
そのため裁判では、契約書の名称も一つの事情として考慮しながら、実際に認定された事実全体を見て契約の法的性質を判断する。
ここで初めて、「形式」と「実態」という問題が法的評価の場面に現れる。
一つの事実だけでは法的評価は変わらない
例えば、担当者が「返済」という言葉を使っていたという事実だけで、その契約を貸金契約と評価することは通常できない。
反対に、契約書に「債権譲渡」と書かれているという事実だけで、常に債権譲渡契約と評価されるわけでもない。
法的評価は、一つの事実だけで決まるものではない。
裁判所は、認定された複数の事実を総合し、その取引の本質がどこにあるのかを判断する。
だからこそ、立証において重要なのは「決定的な証拠」を探すことではなく、法的評価に影響を与える事実を一つずつ積み上げることである。
法的評価の対象は契約書ではなく取引全体である
契約は、一枚の契約書だけで完結するものではない。
契約締結までの説明、契約締結後の運用、金銭の流れ、支払いの求め方、危険負担のあり方など、取引全体が一つの経済的活動として存在している。
裁判所が法的評価を行うときも、本来はその全体像が判断の対象となる。
そのため、契約書だけを切り離して評価することも、録音だけを切り離して評価することも適切ではない。
認定された事実を全体として見たとき、その取引は実際には何を目的とし、どのような権利義務を発生させていたのか。
その問いに答えることが法的評価なのである。
「貸金だった」という結論は評価の結果である
2社間ファクタリングの議論では、「これは貸金である」という表現が出発点として語られることが少なくない。
しかし、裁判という視点から見れば、それは最後に導かれる結論である。
まず証拠が提出される。
その証拠から事実が認定される。
そして、その認定された事実に法律が適用され、初めて契約の法的性質が判断される。
この順序を理解しなければ、証拠の集め方も、事実の整理の仕方も見誤ることになる。
2社間ファクタリングの問題は、契約書に書かれた名称を争うことではない。
また、一つの証拠だけをもって違法性を論じることでもない。
重要なのは、認定された事実全体を法律に照らしたとき、その取引をどのように評価すべきなのかという点にある。
裁判所が最終的に示す判断とは、まさにこの法的評価なのである。

