裁判では、「証拠があるかないか」が注目されることが多い。しかし、裁判所が実際に行っている作業は、証拠を数えることではない。
提出された証拠を基に、一つひとつの事実を認定し、その事実同士に矛盾がないかを確認しながら、最終的に取引全体の姿を組み立てていくことである。
この積み重ねの過程を理解すると、なぜ一つの証拠だけでは裁判に勝てないのか、また、なぜ一見すると些細な証拠が重要になるのかが見えてくる。
裁判所は最初から結論を認定するわけではない
2社間ファクタリングを例に考えてみよう。
「この契約は貸金だった。」
これが当事者の主張である。
しかし、裁判所は最初からこの結論を認定することはない。
まず認定されるのは、もっと小さな事実である。
例えば、業者が利用者へ一定額の金銭を振り込んだこと。
利用者が一定期間後に業者へ金銭を支払ったこと。
担当者が契約前にどのような説明を行ったのか。
契約後にどのような請求が行われたのか。
こうした個々の事実が、一つずつ認定されていく。
つまり、裁判所は「貸金だった」という大きな結論から入るのではなく、その結論を構成する小さな事実から認定を始めるのである。
一つの事実が次の事実を支える
事実認定は、独立した事実を並べる作業ではない。
認定された事実は、次の事実を認定するための土台となる。
例えば、担当者が契約前に「返済」という言葉を用いていたことが認定されたとする。
次に、契約後も同じ担当者が利用者に対して支払いを求め、「返済が遅れている」と説明していたことが認定されたとする。
さらに、実際の送金記録から、その説明どおりの金銭の移動が行われていたことが認定されたとする。
それぞれは別々の事実である。
しかし、互いに矛盾することなく一つの流れを形成しているなら、その事実は単独で存在するよりも大きな意味を持つようになる。
だからこそ、裁判では証拠を個別に見るだけでは足りない。
認定された事実同士がどのようにつながるのかを考えることが重要なのである。
認定された事実は互いに整合していなければならない
裁判所は、一つの事実だけを見て判断することは少ない。
むしろ重要なのは、認定された複数の事実が全体として矛盾なく説明できるかどうかである。
例えば、契約書には債権譲渡と記載されている一方で、契約前の説明では金銭を借りる取引であるかのような説明が繰り返され、契約後も利用者自身に支払いを求める運用が続いていたとする。
このような場合、契約書だけを切り離して見れば一つの結論になるかもしれない。
しかし、契約前から契約終了までの経過を一つの流れとして見たとき、その契約書は取引全体の中でどのような意味を持つのかという視点が生まれる。
事実認定とは、このように一つひとつの事実を全体の中へ位置付ける作業でもある。
積み上がるのは証拠ではなく事実である
ここで誤解してはならないのは、積み上げる対象である。
積み上げるのは証拠ではない。
証拠は、それぞれ異なる事実を認定するために存在する。
録音は発言の存在を示す。
契約書は契約内容を示す。
銀行口座の記録は金銭の移動を示す。
ホームページは会社が利用者へどのような説明をしていたのかを示す。
これらは役割が異なる。
裁判所は、それぞれの証拠から事実を認定し、その認定された事実を積み重ねていく。
つまり、裁判で組み立てられるのは証拠の山ではなく、事実の積み木なのである。
最後に完成するのは「取引全体の姿」である
一つの事実だけでは、取引の性質は見えてこない。
しかし、小さな事実が積み重なり、それぞれが一つの方向を向き始めると、全体像が少しずつ明らかになっていく。
契約前の説明。
契約締結の経緯。
資金交付の方法。
契約後の運用。
利用者への請求。
実際の金銭の流れ。
これらは本来、別々の出来事ではない。
一つの取引の中で連続して起きた出来事である。
裁判所が行う事実認定も、それらを切り離して評価するためではなく、一つの取引として再構成するために行われる。
その意味で、事実認定とは、提出された証拠を材料にして、過去に行われた取引をもう一度組み立て直す作業であると言える。
そして、その作業によって初めて、契約書だけでは見えてこなかった取引の全体像が裁判の場に現れる。
だからこそ、2社間ファクタリングの裁判で重要なのは、「決定的な証拠」を探し続けることではない。
一つひとつの証拠から認定できる事実を丁寧に積み重ね、その事実がどのようにつながり、一つの取引を形作っていたのかを示すことである。
事実認定とは、その積み重ねの先に初めて成立する、裁判の中核となる作業なのである。

