契約書だけでは取引の実態を語れない
2社間ファクタリングの裁判で、契約書が重要な証拠になることに異論はない。契約書には当事者がどのような契約を締結したのかが記載されているからである。
しかし、そこで問題になるのは、その契約書を誰が、どのような取引を前提として作成したのかということである。
利用者が自ら「債権譲渡契約にしましょう」と提案して契約書を作成しているわけではない。通常は、ファクタリング業者が契約の仕組みを用意し、その条件を定め、その条件に従って利用者との契約を成立させる。
そうであれば、契約書に債権譲渡と記載されているという事実だけを取り出して、その形式を取引の実態そのものとして扱うことには問題がある。
契約書は確かに一つの事実である。しかし、それは取引全体の中に存在する一つの事実にすぎない。
契約前に業者が何を説明したのか。契約締結後に業者がどのような行動を取ったのか。利用者に対して何を支払うよう求めたのか。支払いが行われなかった場合、誰に対して、どのような理由で回収を求めたのか。
これらも同じ取引について存在する事実である。
したがって、事実認定の問題は「契約書に何と書いてあるか」で終わらない。契約書に記載された形式と、契約を作った側が実際に行った行動が一致しているのかを確認するところから、本当の問題が始まる。
形式を作った側の行動には意味がある
契約書上は債権譲渡である。
それにもかかわらず、業者が利用者に対して「返済」を求めているとすれば、その事実は無視できない。
もちろん、「返済」という言葉が一度使われただけで、直ちに貸金であると認定できるわけではない。言葉だけを切り取れば、単なる表現上の問題として説明することもできるからである。
しかし、その説明で終わらせてしまうと、事実認定の対象を意図的に狭くしてしまう。
問題は、その言葉が何度使われたかだけではない。
その言葉に対応する行動が実際に存在したのかということである。
業者が利用者に一定額の支払いを求め、その支払いが売掛先からの入金とは別に利用者自身の義務として扱われ、支払期日が設定され、支払いが遅れれば利用者に対して督促が行われていたのであれば、それらはすべて具体的な事実である。
ここで初めて、「返済」という言葉の意味も問題になる。
言葉だけを見れば曖昧でも、その言葉とともに行われていた一連の行動まで確認すれば、単なる言葉遣いとして処理できるのか、それとも実際の取引関係を表していたのかを検討することができる。
そして、その行動をしていたのは、他でもない契約を作成した業者自身である。
契約書と運用が食い違うなら、その理由が問われる
ここに2社間ファクタリングの事実認定における重要な問題がある。
契約書と実際の運用が一致しているのであれば、そこに大きな矛盾はない。
しかし、契約書では債権譲渡とされている一方で、実際の取引では利用者自身に支払いを求め、その支払いを「返済」として扱っているのであれば、二つの事実を並べたときに説明を必要とする状態になる。
なぜ債権を買い取った業者が、利用者自身に支払いを求めるのか。
なぜ売掛先からの回収という債権譲渡の中心的な関係ではなく、利用者からの支払いが取引の中心になっているのか。
なぜその支払いに期限が設けられ、期限を過ぎれば利用者に対して督促が行われるのか。
これらは、いきなり「だから貸金だ」と結論を出すための問いではない。
まず確認しなければならないのは、実際にそのような運用が行われていたという事実である。そして、その事実が認定されたのであれば、次に、その運用が契約書に記載された債権譲渡という形式とどのように整合するのかを考える必要がある。
形式と運用が一致しているなら、その理由を説明できる。
しかし、形式と運用が繰り返し食い違っているのであれば、今度はその食い違いを説明する側の問題になる。
「契約書があるから」では終わらない
ここで重要なのは、契約書の存在を否定することではない。
むしろ契約書も含めて、すべての事実を見ることである。
契約書には債権譲渡と書かれている。その事実は認定できる。
同時に、業者が利用者に対して返済を求めていた。その事実も証拠によって認定できるかもしれない。
さらに、その返済が売掛先からの入金とは切り離されていた。支払期日が設定されていた。支払いが遅れれば利用者に督促が行われていた。
ここまで事実が重なれば、裁判所が検討すべき対象は、もはや契約書一枚ではない。
契約書に記載された形式と、その契約を実際に運用していた業者の行動を、同じ取引の中で評価しなければならなくなる。
そして、この二つが一致しないのであれば、その不一致には理由があるはずである。
それを単に「契約書には債権譲渡と書いてある」として終わらせてしまえば、契約書と異なる実際の行動を事実認定から切り離すことになってしまう。
しかし、裁判で問われているのは書面の存在そのものではない。
過去に当事者の間で、実際にどのような取引が行われていたのかである。
だからこそ、形式を作った側が、その形式とは異なる行動を取っていたという事実は重要になる。
実態を認定するために必要なのは「結論」ではなく事実である
2社間ファクタリングの実態が貸金であるとしても、裁判所に対して「実態は貸金だ」と繰り返すだけでは事実認定にはならない。
必要なのは、そう判断するための具体的な事実を明らかにすることである。
そして、その事実は業者自身の行動の中に存在している。
どのような説明をしたのか。
どのような契約書を用意したのか。
契約後、誰に対して支払いを求めたのか。
その支払いを何と呼んでいたのか。
支払いが遅れたとき、どのような対応をしたのか。
こうした行動が一つの取引の中でどのようにつながっていたのかを認定していく。
その結果、契約書上の形式と実際の運用との間に継続的な乖離が認められるのであれば、その乖離は単なる印象ではない。
裁判上、認定された複数の事実から構成される取引の特徴である。
そして、その段階まで事実認定が進んで初めて、契約書に記載された「債権譲渡」という形式を、その取引の実態を表すものとしてそのまま受け取ることが妥当なのかという問題が現れる。
実態を明らかにするとは、契約書を無視することではない。
契約書も、業者の説明も、実際の金銭の流れも、契約後の請求も、すべてを同じ取引の中に置いて見ることである。
そして、形式を作った側自身の行動がその形式を裏切っているのであれば、その事実こそ、事実認定において正面から検討されなければならない。

