AI検索と広告技術の進化により、金融広告は「誰が勧誘したのか分からない」形で拡散するようになった。
検索結果やAIの要約は、もはや単なる情報整理ではなく、特定の金融取引を選好させる機能を果たしている。
それにもかかわらず、行政はこれを従来型の広告規制や勧誘規制の枠内で扱おうとし続けている。
問題は技術ではなく、規制が現実の機能に追いついていないことである。
行政不作為はいつ成立するのか
行政不作為とは、単に「何もしなかった」状態ではない。
法理上問題になるのは、①危険や被害が予見可能であり、②行政に一定の権限や裁量があり、③それにもかかわらず合理的な措置を取らなかった場合である。
AI検索を介した金融広告については、この三要件がすでにそろいつつある。
誇大・誤認的な金融誘導が中小事業者に実害を与えている事実は各種相談件数や訴訟で顕在化しており、行政も実態を把握している。
金融商品取引法、景品表示法、特定商取引法など、直接・間接に介入可能な法的手段も存在する。
それでも「前例がない」「AIだから判断が難しい」という理由で静観を続けるなら、それは技術的困難ではなく規制意思の欠如に近い。
AI広告が金融規制を空洞化させる構造
AI広告の本質的な問題は、広告性が分解されている点にある。広告主、比較サイト、アフィリエイター、検索プラットフォーム、生成AIが役割を細分化し、それぞれが「自分は最終決定者ではない」と主張できる構造を作っている。
その結果、金融規制が前提としてきた「勧誘主体」「表示主体」「説明義務主体」が霧散する。AIの推奨文言は広告表示でありながら広告と認識されず、比較表は客観情報を装いながら恣意的に設計される。
規制は形式を追い、実質は取り逃がす。これが「金融ではない金融」「広告ではない広告」を大量生産している。
準消費者概念を金融に入れると何が変わるか
ここで重要になるのが準消費者概念である。中小零細事業者であっても、金融知識や交渉力、情報収集能力において個人消費者と同等、あるいはそれ以下の立場に置かれている場合があるという認識だ。
準消費者として位置づければ、「事業者だから自己責任」という一律処理は通用しなくなる。
AI広告による誘導、専門用語の濫用、リスク説明の欠如は、金融商品の種類にかかわらず規制対象として再評価される。
ファクタリングのように形式上は金融商品とされていない取引でも、実質的に資金調達であり、かつ不当誘導があるなら保護の射程に入る。
結論:問われているのは技術ではなく規制姿勢である
AI広告は新しいが、問題の本質は古い。情報の非対称性を放置し、責任主体の不明確さを理由に介入を避ける姿勢は、結果として被害を拡大させる。
行政が「金融ではない」「広告ではない」「事業者向けだ」と言い続ける限り、規制の空洞化は止まらない。
この段階で行政が動かなければ、次に問われるのは個別業者の違法性ではなく、危険を認識しながら放置した行政自身の不作為である。

