ファクタリング広告という名の“制度ハック”―「金融でない金融」が生む倫理の空白

ファクタリングのトラブル

ファクタリングは合法である。
この点に争いはない。
問題は、合法であることが、なぜか「正当である」「健全である」とすり替えられている点にある。

近年、事業者向け資金調達をうたうファクタリング広告が急増している。
即日資金化。
審査柔軟。
資金繰り改善。
その言葉遣いは、ほぼ金融機関の融資広告と変わらない。

しかし彼らは、決して「金融」だとは名乗らない。

「金融ではない」という魔法の言葉

ファクタリング事業者は、自らを貸金業者とは位置づけない。
融資ではなく、債権の売買だと説明する。
この瞬間、貸金業法、利息制限法、金融機関に課される説明責任の多くが適用外になる。

だが、利用者の体験はどうか。
資金が不足している。
急いで現金が必要だ。
条件は厳しいが、背に腹は代えられない。

これは、典型的な金融取引における意思決定状況そのものである。
にもかかわらず、制度上は「金融ではない」とされる。
このねじれこそが、最大の問題だ。

手数料「◯%〜」という情報の非対称

多くのファクタリング広告では、手数料が「◯%〜」と表示される。
上限は曖昧。
実際の平均値も示されない。
年利換算の説明はほぼ存在しない。

短期取引だから年利換算は意味がない。
そう説明されることもある。
だが、意味がないのではない。
利用者にとって不利だから語られないだけである。

1か月10%は、年120%だ。
この事実を、自ら計算できる事業者だけが対象だという前提が、暗黙のうちに置かれている。

「ノンリコース」という安心の演出

ファクタリングでは「償還請求権なし」が強調される。
売掛先が倒産しても、利用者は責任を負わない。
一見すると、リスクはすべて事業者側にあるように見える。

しかし契約書の細部を見ると、
債権の真正性。
取引条件の解釈。
通知義務違反。
こうした要素によって、実質的な責任が利用者側に残る設計も少なくない。

ここでもまた、法的に正しい言葉が、安心感の演出として消費されている

なぜ彼らは自分を「悪徳」だと思わないのか

興味深いのは、多くのファクタリング事業者が、自らを悪人だとは認識していない点だ。
彼らはこう考えている。

法律は守っている。
市場相場に基づいている。
事業者同士の取引だ。
選択したのは相手方だ。

これは、制度の内側に完全に収まった倫理観である。
違法ではない。
しかし、制度の隙間を最大限利用し、弱い立場から価値を引き出す構造であることは否定できない。

行政が放置してきた「事業者=保護不要」という前提

この問題が拡大した背景には、行政の姿勢がある。
事業者向け取引だから。
消費者ではないから。
自己責任だ。

こうして、零細事業者やフリーランスの情報格差は無視されてきた。
結果として生まれたのが、金融的影響は極めて大きいのに、金融規制が及ばない地帯である。

問題は違法性ではなく、制度設計である

ファクタリングを一律に違法と断じることはできない。
それは事実だ。
しかし、違法でないことを理由に、問題を見過ごすことも許されない。

問われるべきは、
なぜ金融に近い商品が金融規制から外れているのか。
なぜ広告段階での情報開示がこれほど緩いのか。
なぜプラットフォームは無批判に流通させるのか。

これは、個別事業者の問題ではなく、制度と広告エコシステム全体の問題である。

結論:合法だが、健全とは言えない

ファクタリングは合法である。
しかし、その運用と広告のあり方が健全かと問われれば、答えは別だ。

「金融ではない」という言葉を盾に、
金融的判断を迫られる弱い事業者が量産されている。
それを可能にしているのは、規制の空白と行政の不作為である。

違法かどうかではない。
社会として、どこまで許容するのかが問われている。