二社間ファクタリングは、悪用されやすい制度ではない。
存在した瞬間に、必ず搾取が成立する構造を内蔵したモデルである。
これは業者の質の問題ではない。
運用の巧拙でもない。
一部の悪質事例の話でもない。
二社間ファクタリングという仕組みそのものが、「弱い立場の資金需要者から、時間と恐怖を使って金を抜く」
そのためだけに最適化された構造だからだ。
まず、金融として決定的に欠けているものがある。
リスク引受が存在しない。
本来、金融とはリスクを引き受ける行為だ。
融資であれ、保証であれ、投資であれ、必ず「損をする可能性」を負う。
しかし二社間ファクタリングでは、そのリスクが意図的に排除されている。
・売掛先への通知をしない
・不回収時は全額買戻し
・期限利益喪失
・分割返済
・遅延損害金
結果として何が起きるか。
業者は、
一切の信用リスクを負わず、確定利回りだけを回収する。
これは金融ではない。
搾取の設計だ。
次に、このモデルが必ず「弱者」を狙う理由。
二社間ファクタリングは、健全な資金調達手段を持つ企業には不要だ。
銀行融資が使える。
信用保証協会が使える。
取引先と条件交渉ができる。
つまり、二社間ファクタリングを使う時点で、利用者はすでに追い込まれている。
・時間がない
・選択肢がない
・交渉力がない
この状態を前提にしなければ、二社間ファクタリングは成立しない。
弱っていなければ使えない制度、それ自体が、すでに異常だ。
さらに悪質なのは、このモデルが「自己責任」という言葉を武器にする点だ。
契約書は整っている。
説明はされている。
署名もある。
だがそれは、溺れている人間に契約書を差し出す行為に等しい。
選択肢が存在しない状況での同意は、自由意思ではない。
それでも二社間ファクタリングは、この形式的同意を盾に、あらゆる責任を利用者に押し付ける。
ここで搾取は完成する。
よくある反論がある。
「資金繰りを助けている」
「銀行が貸さないから必要」
「救われた事業者もいる」
すべて欺瞞だ。
二社間ファクタリングは、資金繰りを改善しない。
先送りするだけだ。
しかもその先送りには、高率の“手数料”という名の確定損失が付く。
延命された事業者は、より悪い条件で、より深い依存状態に追い込まれる。
これは救済ではない。
搾取の段階化だ。
では、なぜここまで明白な構造が、今日まで許されてきたのか。
理由は単純だ。
誰も「実質貸付」と言わなかったから。
言ってしまえば、
・業界が崩れる
・行政の不作為が露呈する
・司法の過去判断が否定される
だから全員が沈黙した。
「グレー」
「一概には言えない」
「実態に即して」
これらは判断ではない。
逃避の言語だ。
二社間ファクタリングは、改善すれば良くなる制度ではない。
規制を強めても、ガイドラインを整えても、説明義務を増やしても、本質は変わらない。
なぜなら、リスクを引き受けない資金供給は、必ず搾取になる。
これが金融の原理だからだ。
結論は明確だ。
二社間ファクタリングは、一部が悪い制度ではない。
存在自体が悪である。
必要悪でもなければ、過渡期の産物でもない。
弱い立場を前提に設計された、搾取専用モデルだ。
これを「仕方がない」と許し続ける限り、被害は止まらない。
問題は、二社間ファクタリングが悪かどうかではない。
なぜ、ここまで明白な悪を、社会が見て見ぬふりを続けてきたのか。
その問いから、次は逃げられない。

