契約自由という原則の前提。
契約は、当事者の自由意思によって結ばれる。
これが、私たちの社会が前提としている原則です。
条件を比較し、納得したうえで合意する。
その過程があるからこそ、結果に対する責任が成立します。
しかし、この前提は、あらゆる状況で自動的に成立するものではありません。
自由意思は、環境によって大きく左右されます。
選択肢の有無。
時間的猶予。
情報へのアクセス。
これらが欠けた状態での判断は、形式上の合意にとどまります。
2社間ファクタリングが使われる状況。
2社間ファクタリングが検討される場面は、ほぼ共通しています。
資金繰りが限界に近づいている。
金融機関からの融資が通らない。
支払い期日が目前に迫っている。
このような状況では、比較検討という行為そのものが成立しにくくなります。
冷静な判断よりも、時間を稼ぐことが優先されます。
条件の良し悪しではなく、今すぐ資金が入るかどうかが判断基準になります。
これは、通常の取引環境とは明らかに異なります。
選択肢が存在しない契約。
選択肢があるから、自由意思が成立します。
裏を返せば、選択肢がなければ、自由意思は形骸化します。
2社間ファクタリングの現場では、
他の選択肢がすでに閉ざされているケースが少なくありません。
融資は断られている。
取引先への相談も難しい。
時間的な余裕もない。
この状態で提示される条件は、
比較の対象ではなく、受け入れるか破綻するかの二択になります。
これを、自由な契約と呼ぶことはできません。
「理解して選んだ」という言葉の危うさ。
事業者自身が、
理解したうえで契約したと語ることがあります。
しかし、その言葉だけで、自由意思が成立していたと判断することはできません。
理解と選択は、別の問題です。
条件を理解していても、他に道がなければ、選択とは言えません。
追い込まれた状態での合意は、
責任の所在を利用者側に押し付けるための言葉として使われがちです。
ここで問われるべきなのは、
理解の有無ではなく、選べる状況が存在していたかどうかです。
困窮を前提に成立する取引という構造。
2社間ファクタリングは、
困窮状態にある事業者が一定数存在することを前提に成立しています。
余裕のある事業者は、この取引を利用しません。
結果として、特定の層に利用が集中します。
この集中は偶然ではありません。
制度が、そうした状況を前提に設計されているからです。
困っているからこそ受け入れる条件。
急いでいるからこそ成立する手数料。
この構造の中で、
自由意思という言葉は、実質的な意味を失います。
契約自由を理由に免責できるのか。
制度側は、
当事者間の自由な合意であることを理由に、
介入を避けてきました。
しかし、契約自由は万能ではありません。
前提条件が崩れている契約まで、
自由意思として一律に扱うことはできません。
それを認めてしまえば、
追い込まれた者ほど不利な条件を受け入れさせられる社会構造が正当化されます。
それは、契約自由の理念そのものを損ないます。
第3回の整理として。
2社間ファクタリングにおいて、
契約が結ばれる環境は、
自由意思を前提とするにはあまりにも過酷です。
選択肢がなく、時間がなく、拒否すれば破綻する。
この状況での合意を、通常の契約と同列に扱うことはできません。
問題は、利用者の判断力ではありません。
制度が、判断力を発揮できない状況を前提に成立している点にあります。
次回は、
この構造が、
なぜ「説明すれば問題ない」という理屈で正当化されてきたのかを扱います。
理解と結果のあいだにある断絶を、改めて検証します。

