2社間ファクタリングは、長年にわたり「グレーだが便利な制度」として扱われてきた。
強く批判されることもあれば、黙認されることもある。
しかし、社会全体として正面から検証されたとは言い難い。
この制度が今日まで存続してきた理由は、単に違法ではなかったからではない。
むしろ、問題として認識しにくい条件が、いくつも重なっていた点にある。
第一に、被害が可視化されにくい。
2社間ファクタリングを利用した事業者の多くは、直ちに破綻するわけではない。
倒産統計に明確に現れることも少ない。
表面的には、事業は続き、取引も維持される。
しかし、その内側では、資金繰りの余裕が確実に削られていく。
将来入金されるはずだった資金が前倒しで失われ、次の資金不足が予定される。
それでも、帳簿上は「取引が成立している」ため、問題は表に出にくい。
この「すぐには壊れない」という性質が、制度批判を遅らせてきた。
第二に、利用者像が誤解されてきた。
2社間ファクタリングの利用者は、無謀な経営者でも、無知な個人でもない。
多くの場合、売上はあり、仕事も継続している。
ただ、入金までの時間と支払い期限が噛み合っていないだけだ。
この状況で、迅速さを優先する判断は、経営として自然である。
むしろ、取引先や従業員を守るための責任ある判断と評価されることさえある。
そのため、問題が生じても、判断の是非は個人の経営能力に回収されてきた。
制度そのものが問われる機会は、極めて少なかった。
第三に、説明責任という言葉が、議論を曖昧にしてきた。
契約内容は説明されている。
手数料も明示されている。
利用者は理解したうえで署名している。
この事実は、制度側の正当性を補強する材料として使われてきた。
しかし、理解と選択は同義ではない。
他に現実的な選択肢がない状況での同意は、自由意思とは異なる。
それでも、「説明している」という一点が強調されることで、
結果の検証は後回しにされてきた。
第四に、合法という言葉が思考停止を生んできた。
違法ではない。
だから問題ではない。
この単純な構図が、長く共有されてきた。
本来、規制が存在しない制度は、検証途上にある制度である。
安全性が確認された制度ではない。
しかし、2社間ファクタリングは、合法という外形によって、是認されたかのように扱われてきた。
その結果、問われるべきだった問いが先送りされた。
この制度は、どのような結果を生み出しているのか。
同じ結果が繰り返されていないか。
社会的な損失は蓄積していないか。
第五に、結果が個別化されてきた。
利用後に起きる問題は、個別事情として処理される。
資金繰りの失敗。
受注の減少。
経営判断の誤り。
しかし、異なる業種、異なる規模の事業者が、同じ経路を通り、同じ地点に立たされているなら、それは偶然ではない。
制度が再現性のある結果を生み出している証拠である。
この視点が欠けていたため、問題は常に分散され、制度として集約されなかった。
ここまで整理すると、結論は自然に導かれる。
2社間ファクタリングは、例外的な救済手段として機能してきたのではない。
合理的判断を積み重ねるほど、選択肢を奪い、再利用へと導く構造として機能してきた。
注意喚起では、この構造は変わらない。
使い方の工夫でも、回避できない。
存在を前提にする限り、同じ判断と同じ結果が再生産される。
問われているのは、利用者の姿勢ではない。
制度を、このまま社会の選択肢として残してよいのかという一点である。
合法であることは、免罪符ではない。
結果が一貫して事業と生活を圧迫しているなら、その制度は是正されるべきだ。
存在そのものが問われる段階に来ている。

