なぜ「市場」が2社間ファクタリングを淘汰しなかったのか

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市場原理が働くという前提の誤り

2社間ファクタリングが長年存続してきた背景には、市場原理への過信がある。
不利な取引であれば利用者が離れ、自然に淘汰される。
そのような前提が、制度側にも社会側にも共有されていた。

しかし、この前提は最初から成立していなかった。
なぜなら2社間ファクタリングは、市場原理が働く条件を欠いた取引だからである。

利用者は市場の担い手ではなかった

市場が機能するには、冷静な比較と選択が必要になる。
ところが2社間ファクタリングの利用者は、その条件に置かれていない。

支払期限が目前に迫り、他の資金調達手段をすでに失っている。
この段階での判断は、取引の選択ではなく延命行為に近い。
選べる余地がない以上、市場参加者とは言えない。

市場原理は、参加できる者にしか作用しない。
その前提が欠けていた。

価格が比較できない取引は市場にならない

市場が淘汰を生むためには、価格の比較が不可欠である。
しかし2社間ファクタリングでは、その比較が構造的に不可能だった。

手数料は一律ではなく、計算根拠も明示されない。
実質年率は示されず、追加費用が後から発生することも多い。
表面上の数字だけでは、取引の重さが見えない。

価格が見えない以上、競争は成立しない。
競争がなければ、淘汰も起こらない。

情報の非対称性が極端だった

市場が壊れる最大の要因は、情報の偏りである。
2社間ファクタリングでは、その差があまりにも大きかった。

業者は契約構造と回収の仕組みを熟知している。
一方で利用者は、契約書を読んでも実態を理解できない。
理解できないまま、署名だけが求められる。

これは市場取引ではなく、構造的な優越関係である。
その関係性の中で、公正な評価は生まれない。

失敗が共有されない環境

通常、不利な取引は失敗談として共有される。
それが次の被害を防ぎ、市場を浄化する。
しかし2社間ファクタリングでは、それが起きにくい。

利用した事実自体が、経営の窮状を示すからである。
取引先や金融機関への影響を考え、声は外に出ない。
結果として被害は個別事例にとどまり、社会化されない。

市場が判断材料を得られない状態が、長く続いた。

短期的な「成功」だけが評価された

一時的に資金が回り、倒産を免れた。
この一点だけを見れば、2社間ファクタリングは有効に見える。

しかしその後に続く資金流出や、経営の硬直化は評価されない。
長期的な悪影響は個人の責任として処理され、取引自体は問われない。
市場は短期成果しか測れなかった。

市場は倫理を判断しない

市場は効率を測るが、社会的妥当性は測らない。
契約が成立し、需要がある限り、取引は存在し続ける。

2社間ファクタリングは、
違法ではない。
契約は成立している。
その二点だけで、市場に居場所を与えられてきた。

それが社会にとって有害かどうかは、市場の外に追いやられた。

淘汰されなかった理由

2社間ファクタリングは、市場で選ばれた存在ではない。
比較不能で、声が集まらず、評価が歪んだ環境の中で、
淘汰されずに残っただけである。

市場はこれを評価しなかった。
評価できなかったのである。

だからこそ、この問題は市場任せでは解決しない。
社会として扱うべき段階に入っている。