なぜ「支援」を名乗りながら、これほど儲かるのか
まず問うべきは単純な事実である。なぜ2社間ファクタリングは、これほど高い収益性を持ち続けられるのか。資金繰りに困る事業者を「支援」する取引であるなら、そこに過剰な利益が恒常的に生じる構造は、本来説明されなければならない。
銀行融資が低利である理由は明確だ。長期的な関係性、審査、規制、責任が組み込まれている。一方、2社間ファクタリングでは、短期間で高額な手数料が確定し、回収不能リスクは契約構造によって利用者側に転嫁される。このとき、業者が負っているリスクと、得ている利益は釣り合っているのか。その問いが、ほとんど発せられてこなかった。
なぜ利率の議論が避けられてきたのか
2社間ファクタリングは貸付ではないという整理が、利率という概念そのものを議論の外に追いやってきた。しかし、事業者が受け取る現金と、最終的に失う金額の差が存在する以上、そこに実質的な利回りが発生しているのは否定できない。
問題は、その実質利回りがどの水準にあるのかを、誰も正面から示さない点にある。日数換算、年率換算という当たり前の比較が意図的に避けられ、「手数料」という言葉だけが残される。この時点で、金融取引としての健全な比較は成立しなくなる。問いは明確だ。なぜ比較されると困るのか。
なぜ高収益でも「社会的批判」を受けなかったのか
消費者金融や闇金が社会問題化したのは、高金利という結果が広く共有されたからだ。一方で2社間ファクタリングは、同様かそれ以上の負担を生じさせながら、長く社会的批判の対象にならなかった。この差はどこから生まれたのか。
理由の一つは、被害が分散していた点にある。利用者は個人ではなく事業者であり、倒産や廃業は経営判断の結果として処理されやすい。もう一つは、契約と取引の形式が、問題を「当事者間の合意」に閉じ込めてきた点だ。問いはここに集約される。事業者であれば、どれほど不利な条件でも問題にならないのか。
なぜ「合法」という言葉が先に立つのか
2社間ファクタリングが批判されるとき、必ず先に出てくる言葉がある。「違法ではない」「法律上は問題ない」という説明だ。しかし、この反応自体が一つの異常を示している。本来、健全な取引であれば、合法性を強調する必要はない。
なぜ最初に合法性を掲げなければならないのか。それは、取引の内容そのものに、直感的な違和感が存在するからではないのか。高収益、短期回収、弱い立場の利用者。この要素が揃ったとき、人は過去に何を思い出すのか。その問いから、合法ヤミ金という言葉が生まれている。
問われているのは名称ではなく構造
ここで重要なのは、2社間ファクタリングを感情的に断罪することではない。問うべきなのは構造だ。高収益が偶発的なものではなく、制度上、継続的に生まれる仕組みになっている以上、その取引は社会的に再検証されるべき対象になる。
合法であるかどうかは最低限の条件にすぎない。高収益が成立する理由を説明できない取引は、いずれ別の名前で呼ばれるようになる。それが「合法ヤミ金」という言葉であるなら、その言葉を生んだのは批判者ではなく、構造そのものだ。

