使われているのではなく、追い込まれて選ばされている構造
選択肢があるように見えるだけの状況
2社間ファクタリングが使われ続ける理由を、需要があるからだと片付けるのは簡単だ。しかし実態は、複数の選択肢が存在するように見せかけられているだけで、現実的に選べる手段がそれしか残っていない状況が作られている。
銀行融資は審査に時間がかかり、過去の赤字や税金滞納があれば即座に門前払いになる。公的支援は制度として存在しても、申請から着金までの時間が合わない。知人や親族からの借り入れは、事業者にとって最後の一線であり、簡単に踏み越えられるものではない。その結果、即日資金化をうたう2社間ファクタリングだけが、現実的な選択肢として残る。
危機的状況では条件比較ができない
資金繰りが破綻寸前の段階では、冷静な比較や検討はほぼ不可能になる。月末の支払い、従業員の給与、取引先への入金。これらが目前に迫っているとき、事業者が最優先するのは条件の良し悪しではなく、今日中に資金が入るかどうかだ。
この心理状態では、手数料の水準や実質的な負担を精査する余裕はない。提示された条件が厳しいと感じても、他に代替手段がなければ受け入れるしかない。この切迫した状況こそが、2社間ファクタリングの利用を支えている最大の要因である。
使った後の影響が見えにくい
2社間ファクタリングは、利用した瞬間の効果だけが強調され、その後に何が起きるのかが見えにくい。資金は確かに入る。しかし、その資金は売掛金の前倒しにすぎず、将来の入金を先に使っているだけである。
その結果、次の月、次の支払いで再び資金が足りなくなる。そこで再度利用するか、別の業者を探すかという選択に追い込まれる。この連鎖は、利用前にはほとんど説明されない。使われ続ける理由の一つは、最初の利用時点では出口が見えないことにある。
問題が表面化しにくい利用者像
2社間ファクタリングの利用者は、個人ではなく事業者であることが多い。そのため、利用の結果として廃業や倒産に至っても、それは経営判断の失敗として処理されやすい。生活破綻として社会的に可視化されにくい点が、この取引を温存してきた。
さらに、利用者自身も声を上げにくい。自分で契約したという意識が、被害の訴えをためらわせる。結果として、問題は統計にも世論にも現れにくく、使われ続けているにもかかわらず、社会的な警戒感が高まらない。
使われ続けること自体が異常である
本来、過度な負担を強いる取引であれば、利用者が減り、市場から自然に淘汰される。しかし2社間ファクタリングはそうならなかった。使われ続けているのは、取引が健全だからではない。使わざるを得ない状況が構造的に放置されているからだ。
この事実は重い。選ばれているのではなく、追い込まれて使われている取引が、長年にわたり社会に存在し続けてきた。この構造を直視しない限り、どれほど注意喚起を重ねても、利用は止まらない。

