「使うな」と言うには根拠が要る
社会で何かを「使うな」と明言するには、相応の根拠が必要になる。違法であること。重大な被害が確認されていること。代替手段が存在すること。2社間ファクタリングは、このいずれにも中途半端にしか当てはまらなかった。形式上は違法ではなく、被害は個別事業者の経営悪化として処理され、代替手段は理論上は存在しているとされてきた。
この状態では、断定的な表現は避けられる。「注意が必要」「慎重に検討を」という曖昧な言葉にとどまり、「使うな」という表現は過剰だと判断されてしまう。結果として、誰も強い言葉を選べなかった。
行政にとっての越えてはいけない線
行政が特定の取引について「使うな」と言うことは、その取引の正当性を否定する行為に等しい。明確な違法性や判例がない限り、その線を越えることは極めて難しい。2社間ファクタリングは、法制度の隙間に位置づけられてきたため、全面的な否定は制度的に困難だった。
注意喚起ならできる。しかし禁止に近い表現はできない。この制約が、「使うな」という言葉を封じてきた。行政が沈黙したというより、沈黙せざるを得ない構造に置かれていた。
専門家が言い切れなかった理由
士業や金融の専門家にとっても、「使うな」と断言することは簡単ではない。顧問先の資金繰りが逼迫している中で、現実的な代替策を示せないまま否定だけを行うことは、無責任だと受け取られかねない。
また、合法性が完全に否定できない取引を一律に否定することは、専門家としての中立性を損なう恐れもある。その結果、「おすすめしない」「他の方法を検討した方がよい」といった表現に留まり、強い否定は避けられてきた。
メディアが踏み込めなかった構図
メディアが「使うな」と言い切るには、分かりやすい被害構造と明確な悪役が必要になる。しかし2社間ファクタリングは、契約が存在し、利用者が事業者であり、違法性が即座に示せない。この構図では、断定的な論調は訴訟リスクを伴う。
そのため、報道は注意喚起や体験談の紹介にとどまり、結論を読者に委ねる形を取らざるを得なかった。「使うな」と言わないのではなく、言えない条件が揃っていた。
「選択肢を奪ってはいけない」という思い込み
もう一つ見逃せないのは、選択肢を奪うことへの過度な忌避である。資金繰りに苦しむ事業者から、最後に残った手段を否定することは、追い打ちをかける行為だと考えられてきた。そのため、「使うな」と言うこと自体が残酷だという感覚が共有されていた。
しかし、この配慮は結果的に構造を温存した。選択肢として残され続けたことで、2社間ファクタリングは使われ続け、抜け出せない事業者を生み出し続けた。
「使うな」と言えなかったことが最大の問題
重要なのは、「使うな」と言えなかったこと自体が、社会の判断停止を示している点である。高収益で、不可逆性があり、利用者が沈黙せざるを得ない取引に対して、誰も明確な否定を口にできなかった。この事実は、取引の健全性ではなく、評価の枠組みが欠落していたことを示している。
本来、「使うな」という言葉は感情的な断罪ではない。構造的に破綻している取引に対して、社会が示すべき最終的な判断である。その言葉が発せられなかった空白の中で、2社間ファクタリングは生き延びてきた。

