本来、最初に言うべきだったのは金融行政
2社間ファクタリングが拡大し始めた段階で、最も早く異変に気づけたのは金融行政だった。貸金業でもなく、銀行融資でもなく、売掛債権の名を借りた高収益取引が中小事業者に広がっていく。この構図は、過去のグレー金融と酷似していた。
それでも行政は「違法とは言えない」という一点に縛られ、「使うな」とまでは言えなかった。しかし本来、行政の役割は違法行為の摘発だけではない。社会的に有害な取引が拡大しているなら、制度の不備として明確な警告を発する責任がある。法的評価が未確定でも、「極めて危険な取引である」と位置づけることは可能だった。
次に責任を負うべきだったのは金融機関
銀行や信用金庫は、直接2社間ファクタリングを扱っていなくても、利用事業者の動きを最も近くで見ていた。資金繰りが急激に悪化する。手数料負担で利益が消える。短期間で同様の取引を繰り返す。これらは、現場では明確な兆候として現れていた。
それでも金融機関は「銀行が使えないから選んだ手段」として距離を取り、「使うな」とは言わなかった。しかし、代替策を示せる立場にあるのも金融機関である。融資が難しいなら、再生支援や条件変更を含めた選択肢を提示し、その上で明確に否定することはできたはずだ。
専門家は「中立」という言葉に逃げた
税理士や弁護士、経営コンサルタントもまた、「使うな」と言う立場にあった。契約内容を見れば、継続利用が経営を圧迫することは容易に理解できる。にもかかわらず、「最終判断は事業者に委ねる」という中立性が盾として使われてきた。
しかし、中立とは沈黙ではない。明らかに不利な取引に対して警告を発することは、専門家の責務である。特に、抜け出しにくい構造を理解していながら、それを明確に言語化しなかった点は重い。結果として、専門家の助言は「使ってもいいが注意が必要」という誤った安心感を与えた。
メディアは「判断」を避け続けた
メディアもまた、「使うな」と言う力を持っていた。被害事例を集め、構造を整理し、社会的問題として提示する。その上で結論を示すことができたはずだ。しかし実際には、「トラブルが増えている」「注意が必要」という表現に終始した。
これは公平性への配慮というより、判断の放棄に近い。取引の構造上、救済されにくい被害が継続的に生まれている以上、「危険な金融取引である」と断じることは、報道として許容される範囲だった。
最後に、業界自身が言うべきだった
最も言うべきだったのは、2社間ファクタリング業界そのものかもしれない。健全性を主張するなら、過剰手数料や依存的利用を排除し、「使うべきではないケース」を明示する必要があった。
しかし実際には、「資金繰り支援」「事業者の味方」という言葉が濫用され、リスクは矮小化された。業界が自浄作用を持たなかったことで、外部からの強い否定も難しくなった。
誰も言わなかったのではない
結論として重要なのは、「誰も言えなかった」のではなく、「全員が少しずつ責任を回避した」結果だという点である。行政は法を理由に、金融機関は立場を理由に、専門家は中立を理由に、メディアは公平性を理由に、業界は利益を理由に、「使うな」という言葉を避け続けた。
その空白の中で、最も弱い立場の事業者だけが選択を迫られ、沈黙を強いられた。この構造を直視しない限り、「使うな」という言葉は今後も発せられない。

