なぜ「合法ヤミ金」という言葉だけが嫌われるのか

ファクタリングの違法性と契約について

──2社間ファクタリング・脱法金融を守るための言語操作

「合法ヤミ金」という言葉が出た瞬間、空気が変わる。
議論は止まり、話題は逸れ、使った側が“過激”“不適切”“誤解を招く”存在にされる。

一方で、2社間ファクタリングという言葉は許され、
脱法金融という表現はぼかされ、「資金調達の一手段」という説明は堂々と流通する。

この非対称性は偶然ではない。
合法ヤミ金という言葉だけが、触れてはいけない核心を突いてしまうからだ。


■ 合法ヤミ金は「構造」を一言で言い切ってしまう

合法ヤミ金という言葉が嫌われる最大の理由は単純だ。
この言葉は、説明を要さない

・形式は合法
・実態はヤミ金的
・法の網をすり抜けている

この三点を、合法ヤミ金という四文字は一瞬で伝えてしまう。

2社間ファクタリングは安全か
脱法金融と言えるのか
金融なのか取引なのか

こうした“議論の余地”を、合法ヤミ金という言葉は丸ごと潰してしまう。
それが不都合なのだ。


■ 2社間ファクタリングという言葉は「中身を空にする」

2社間ファクタリングという名称は、極めて巧妙だ。
誰と誰の間か
何が起きているのか
どれほどの負担が発生するのか

何一つ伝えない。

その代わり、「契約」「売掛債権」「資金化」といった中立的・事務的な言葉だけが残る。
この名称は、危険性を説明しないための装置として機能している。

合法ヤミ金という言葉は、この装置を破壊する。


■ 脱法金融という言葉は「検討中」に押し込められる

脱法金融という言葉は、合法ヤミ金ほど嫌われない。
なぜなら、まだ“議論の余地”があるからだ。

「脱法かどうかは解釈の問題」
「グレーというだけで違法ではない」

こうした逃げ道を用意できる。
だが合法ヤミ金には、その余地がない。

合法であっても、ヤミ金的である。
この評価を正面から否定するには、構造全体を説明し直す必要がある。
それを誰もやりたくない。


■ 「言葉が強すぎる」という批判の正体

合法ヤミ金に対して必ず出る反応がある。

「言葉が強すぎる」
「誤解を招く」
「冷静な議論ができなくなる」

だが、これは内容への反論ではない。
言葉のトーンに論点をすり替えているだけだ。

本当に問うべきは、
・高率な手数料
・継続利用を前提とした設計
・資金繰りを改善しない構造
・追い詰められた事業者しか使えない現実

これらがヤミ金的かどうか、という一点のはずだ。
そこには誰も答えない。


■ 合法ヤミ金は「責任の所在」を一気に可視化する

合法ヤミ金という言葉が嫌われる理由はもう一つある。
この言葉は、誰がそれを許しているのかを問い始めてしまう。

・なぜ規制されないのか
・なぜ被害統計が存在しないのか
・なぜ注意喚起で止まっているのか
・なぜ「使うな」と言われないのか

2社間ファクタリングという言葉では、これらの問いは浮かび上がらない。
合法ヤミ金と呼んだ瞬間、逃げ場が消える。


■ 言葉を嫌うのは、現実を直視したくないから

合法ヤミ金という言葉が嫌われるのは、事業者を傷つけるからではない。
市場を歪めるからでもない。

守られている側が、守られている理由を説明できなくなるからだ。

だから言葉のほうを排除する。
構造ではなく表現を問題にする。
中立、慎重、注意喚起という曖昧語で包み込む。


■ 名前を奪えば、問題は消えたように見える

合法ヤミ金という言葉を使わなければ、2社間ファクタリングは「資金調達手段」になり、脱法金融という指摘は「一部の見解」になる。

だが、名前を奪っても構造は消えない。
消えるのは、批判の焦点だけだ。


■ 嫌われる言葉ほど、核心を突いている

合法ヤミ金という言葉がこれほど嫌われるのは、それが乱暴だからではない。
正確すぎるからだ。

この言葉が通用しない社会は、仕組みではなく空気で物事を判断している。

そしてその空気の中で、2社間ファクタリングという脱法金融は、今日も「選択肢」として静かに正当化され続けている。