立法不作為と監督不作為の併合責任

不存在債権は「詐欺か?」「不当原因給付か?」

――制度を作らず、止めもせず、放置した責任

■ 問題は「監督」だけでは終わらない

二社間ファクタリングをめぐる行政責任は、監督不作為だけでは完結しない。

より深刻なのは、この市場が長期間にわたり、明確な法的根拠を欠いたまま放置されてきたという事実である。

貸金業でもなく、銀行業でもなく、割賦販売法でも規律されない。実態としては高金利融資に近い取引が、制度の空白地帯に置かれたまま、事実上黙認されてきた。

ここで問題になるのは、監督権限の不行使ではない。

本来、制度として規制すべき市場を、立法として放置してきた責任である。

■ 最高裁が認めてきた「立法不作為」という例外領域

立法不作為による国家賠償は、原則として極めて高いハードルがある。

立法には広範な政策裁量があり、単に立法が遅れたというだけでは違法とはならない。

しかし、最高裁は一貫して、ある例外を認めてきた。

危険性が明白で、被害が継続的に発生し、立法による救済が不可欠であるにもかかわらず、長期間にわたり何らの措置も講じなかった場合。

その不作為が著しく合理性を欠くと評価されるとき、立法不作為も国家賠償の対象になり得る。

薬害、選挙制度、福祉制度などの判例が示してきたのは、「裁量」では覆い隠せない放置の限界である。

■ 二社間ファクタリングは「典型的な立法不作為型市場」である

この基準を二社間ファクタリングに当てはめると、問題は一段と深刻になる。

この市場の危険性は、早い段階から明確だった。

高率手数料による実質高金利、継続依存構造、資金繰りの悪化による連鎖倒産。貸金業規制を潜脱する仕組みであることは、業界内では周知の事実であり、金融庁自身も実態を把握していたと考えられる。

しかも、被害は一過性ではない。

十年以上にわたり、同じ構造の取引が反復継続され、中小企業の資金調達市場として定着していた。

それにもかかわらず、明確な登録制度も、上限規制も、開示義務も、長期間にわたり整備されなかった。

これは「制度設計が難しかった」という水準の話ではない。

危険な市場を、制度の外に放置し続けたという点で、典型的な立法不作為型の問題である。

■ 監督不作為と立法不作為が重なるとき、責任は逃げ場を失う

ここで決定的なのは、この問題が立法不作為と監督不作為の単独事案ではないという点である。

制度を作らなかった。
監督もしなかった。
是正もしなかった。

規制の空白を放置し、その空白の中で市場が肥大化し、被害が拡大した。

この構造は、過去の行政訴訟でも極めて稀である。

通常、当局は「制度がなかったから監督できなかった」と言い訳をするか、あるいは「監督していたが裁量だった」と主張する。

しかし、ここでは両方が同時に崩れる。

制度を作らなかった以上、監督できなかったという弁解は通らない。
監督権限を行使できた以上、制度がなかったという弁解も通らない。

逃げ場が存在しない構造である。

■ 最後に残る責任の形は、「制度放置」という国家の過失である

この場合、問われるのは特定の担当者の過失ではない。

金融行政と立法行政が一体となって、市場の危険性を認識しながら、長期間にわたり制度的対応を怠ったという、国家全体の過失である。

結果責任ではない。

制度を作らず、止めもせず、放置したという過程そのものが、違法性の核心になる。

最後に残る問いは、やはり同じである。

なぜ、ここまで危険な市場を、制度としても、監督としても、止めなかったのか。