第2弾「AI仕訳が“責任の所在”を溶かしていく」
―― 技術がもたらす“判断放棄”という新しい危機
AIが仕訳を行い、決算書がボタン一つで完成する──。
かつて夢物語だった世界が、今では現実のサービスとして提供されている。
だがその陰で、静かに失われつつあるものがある。
それは“数字の意味を読む責任”だ。
会計の自動化が便利であればあるほど、
人間は「自分で判断する力」を手放していく。
■ 「AI仕訳」という言葉が生む誤解
AI仕訳。
それは「AIが正しく仕訳をしてくれる」という響きを持つ。
だが、実際にはAIが行っているのは「過去データのパターン学習」にすぎない。
AIは取引内容の意味を理解しているわけではない。
あくまで「似たようなデータをこの勘定科目に分類していた」という統計的処理だ。
たとえば、「Amazon」「Google」「ENEOS」という入力があれば、
AIは過去の傾向を基に自動で科目を提案する。
しかし、それが業務用備品なのか、広告費なのか、燃料費なのかは文脈次第だ。
AIにはその文脈を読む力がない。
にもかかわらず、記事や広告は平然と「AIが仕訳を自動化」と謳う。
まるで人間の判断が不要になったかのように。
ここに、最大の誤認リスクがある。
■ “責任”を委ねる設計は、誰も責任を取らない構造を生む
AI仕訳が提案した勘定科目をそのまま登録した結果、
税務上の区分ミスや費用認識の誤りが発覚する――。
実際、こうしたケースは増えている。
だが、その時に責任を問われるのは誰か。
AIではない。
もちろん、クラウドサービス運営会社でもない。
最終的な確認を怠った利用者である。
つまり、AIに任せるほど責任は個人に集中するという逆転構造が生まれているのだ。
“便利”という言葉の裏側で、
判断を放棄した結果のリスクは、すべて利用者に跳ね返ってくる。
■ 「自動化」は人を楽にしない。人を“考えなくさせる”。
AI仕訳は確かに便利だ。
入力のスピードも、帳簿の整合性も向上する。
だが問題は、それを信じすぎたときに起こる。
AIが出す結果を「正しい」と前提してしまえば、
確認する力が鈍り、
やがて「何が正しいか」を判断する基準そのものが消える。
これは、単なるツールの話ではない。
判断という人間固有の機能を、機械に委ねる心理構造の話だ。
そしてそれが、最も顕著に現れているのが“会計”という分野である。
数字の羅列は事実のように見えるが、
実際には「どの費用をどの期に計上するか」という“判断の結果”でできている。
そこをAIに委ねるとは、
「経営を数字で見る力」を手放すことに等しい。
■ “人間の手間を減らす”という発想の危険性
クラウド記事でよく見かけるコピーがある。
「もう手入力はいらない」「経理作業から人を解放」。
耳ざわりは良いが、これほど危うい言葉もない。
手間とは、単なる負担ではない。
それは「内容を理解し、確認し、考える時間」でもある。
この“考える時間”を排除してまで効率化を追うと、
会計は作業だけが残り、意味が消える。
「AIが判断してくれる」ではなく、
「AIの判断を人間が検証できるか」こそが本質なのだ。
■ 「AIに任せて安心」という社会的錯覚
近年、AI会計を推す記事やセミナーが増えている。
そこでは“AIの進化で経理業務が消える”などと語られる。
だが、現場ではむしろ経理の責任が拡大している。
AIが判断した結果の妥当性を検証し、
監査で説明し、税務調査で根拠を示さねばならない。
つまり、AI導入は「楽になる」のではなく「高度化する」のである。
「AIがやってくれる」という言葉の裏には、
“AIが間違えてもあなたの責任です”というサイレント条項がある。
そこを理解せずに使えば、
人間の判断力は鈍り、責任感覚は麻痺する。
■ 結語:AIが奪うのは“手間”ではなく“人間の自覚”
AI仕訳は、会計の未来を変える。
だが、その未来が明るいかどうかは、使う側の覚悟次第だ。
便利さを追い求めるあまり、
“確認する責任”と“考える習慣”を手放した瞬間、
会計は経営を映す鏡ではなく、ブラックボックスになる。
技術の進化は止められない。
しかし、それを受け止める倫理とリテラシーがなければ、
AIは“判断を奪う装置”に転落する。
自動化の波が押し寄せる今こそ、
私たちは自問すべきだ。
――「AIに任せて、私は何を失っているのか?」と。

