第3弾「AI会計と“監査不能社会”」デジタル化が透明性を奪う、その逆説
AIが帳簿をつけ、決算書を自動で生成する。
AIが帳簿をつけ、決算書を自動で生成する。
人の手を介さず、数字が整っていく。
――だが、その「自動的な正確さ」は、本当に正確なのか?
デジタル化の波の中で、
私たちは「確認する力」を失い、
やがて“監査不能社会”へと足を踏み入れつつある。
■ 「データが正しい」と思わせる構造
AIによる仕訳、クラウド会計、API連携。
これらは一見、透明性を高めるように見える。
しかし、実際にはその逆だ。
理由は簡単。
人間が介入できないほど複雑な構造を作ってしまったからだ。
かつて、帳簿は人が書き、人が見た。
どんな誤りも、紙の上で痕跡を残した。
今のクラウド会計では、訂正も削除も、履歴さえ自動的に「最適化」される。
AIは結果しか見せない。
“なぜその数字になったのか”という理由の可視化が、どんどん消えていく。
つまり、
AIが出した結果を監査人が再現できないという状況が、すでに現実に起きているのだ。
■ 「AI監査」は幻想にすぎない
一部の業界では「AIが監査も自動化する」とうたわれる。
だが、それは本質をすり替えた言葉だ。
AIができるのは「過去の不正パターンを検出すること」だけである。
つまり、既知の不正には対応できても、
新しい不正や前提のズレには気づけない。
AIが検出できるのは「異常値」であり、
「異常な判断」ではない。
監査とは、数字の整合性だけでなく、
経営判断の妥当性を問う行為だ。
AIが「判断の文脈」を理解しない以上、
監査の本質には踏み込めない。
AI監査という言葉は、
結局のところ「データのパターン監視」でしかない。
それを“監査”と呼ぶこと自体、欺瞞である。
■ “自動化された正しさ”が最も危険
AIが作った決算書は、見た目が美しい。
整然とし、矛盾がなく、完璧に整っている。
だが、その完璧さこそが危険なのだ。
矛盾がなければ、人は考えない。
AIが示す整合性は、人間の疑問を奪う構造でもある。
会計とは「数字で経営の現実を映す鏡」であるはずが、
AI化によって「AIが見せたい鏡像」にすり替わる。
このとき、数字は事実ではなく演算の結果になる。
そして、誰もそのプロセスを追えなくなる。
これが、“監査不能社会”の核心である。
■ 「正しいかどうか」よりも、「説明できるか」
AIが導いた数値がどんなに正確でも、
それを説明できなければ、正しいとは言えない。
これは会計の原点であり、
経営の信頼を支える唯一のルールだ。
ところが今のAI会計は、
その“説明可能性(Explainability)”を犠牲にしている。
「ブラックボックスでも正確ならいいじゃないか」という風潮が広がれば、
会計の世界は倫理より効率を優先する。
それは、
透明性が技術に吸収される瞬間でもある。
■ “誰も責任を取らない社会”への転落
AIが仕訳をし、AIが分析をし、AIが決算をまとめる。
では、誤りがあったとき誰が責任を取るのか。
AIではない。
ベンダーでもない。
最終的に「承認ボタンを押した人間」である。
だが、その人間はAIの中身を知らない。
つまり、“責任を取る者が中身を理解していない”という倒錯が起きている。
監査不能社会とは、
責任を取る者が何に責任を取っているか分からない社会のことだ。
■ 結語:透明性を取り戻すには「非効率」を取り戻せ
AI会計の進化を止めることはできない。
だが、すべてを任せることはできる。
この二つの違いを、社会全体が理解しなければならない。
完璧な数字よりも、
「なぜこの数字になったのか」を説明できる人間の存在こそが、
真の透明性を生む。
だからこそ、
私たちは今、あえて非効率であることを恐れてはいけない。
「考える」「確認する」「疑う」――
その手間こそが、人間がAIに奪われない最後の領域なのだ。

