司法徹底批判プロジェクト 連載

不存在債権は「詐欺か?」「不当原因給付か?」

第1章 「被害者」という存在は、司法にとって“異物”である

司法制度は、被害者のために存在している。
そう信じている人は多い。
だが現実はどうだろうか。

裁判所は、加害者の権利を過剰に保護し、被害者の痛みを“ノイズ”として扱う。
まるで「法廷に感情を持ち込むな」と言わんばかりに。

被害者が泣きながら訴えても、裁判官はこう言うだろう。
――証拠が足りない。
――因果関係が不十分。
――損害が立証されていない。

被害者の苦しみを、数字と文言に還元し、それでもなお「不足」と切り捨てる。

なぜか。
被害者は「制度に従属すべき存在」だからだ。
司法にとって被害者は、守る対象ではなく、秩序を乱す存在なのである。

法は正義を実現しない。
法は、法を守るために存在する。
その自己目的化は、今日も新たな被害者を生む。


第2章 証拠がなければ、被害は“存在しないもの”にされる

殴られた。
騙された。
脅された。
それでも証拠がなければ、裁判所は簡単に言い放つ。

「その被害は、法的には認められない」

被害者はこう反論する。
どうして苦しんでいる私が、存在証明をしなければならないのか?

だが司法は容赦ない。

証拠がなければ、事実ではない。
記録がなければ、苦しみはゼロである。
裁判所にとって被害とは、立証されたときに初めて存在するものなのだ。

加害者は証拠を破壊すればよい。
脅しは録音されなければ、「なかったこと」にできる。
詐欺師は、返す気もない金を「借金だった」と言い張れば、被害者の主張はかき消せる。

被害者は痛みに耐えながら、
「事実だったこと」を証明する負担まで背負わせられる。

司法は、弱者の味方ではない。
証拠を持つ者の味方である。


第3章 裁判には勝っても、被害者は“負ける”

判決が出た。
勝訴。
しかし被害者は笑えない。

なぜなら、そこはゴールではなく、
回収という地獄のスタートラインだからだ。

相手が支払わない?
そんなことは日常茶飯事。
財産開示? 嘘をつけば済む。
強制執行? 逃げればいい。

判決文は紙切れだ。
正義は机の上に置かれたまま、現実には届かない。

被害者は金と時間を失い、
神経をすり減らし、
勝ってなお疲弊する。

裁判所は判決で満足する。
被害者は回収で心を砕く。

司法は勝者を生まない。
より苦しまなかった方が生き残るだけだ。


第4章 「法廷」という舞台で、被害者は常に脇役

裁判所には主役がいる。
裁判官でも、検察官でも、弁護士でもない。

主役は「法」である。

法という脚本に従い、裁判官が演じ、弁護士が演じ、
被害者は――黙って背景に立たされる。

裁判官は、被害者の叫びを「情緒」と退け、
弁護士は、被害者の怒りを「不利な材料」として排除する。

被害者は舞台の外で、
「当事者なのに発言権がない」という不条理に押しつぶされる。

正義はどこにある?
残念ながら、そこに“居合わせていない”。

司法は被害者を守らない。
被害者を“管理”する。

法の支配とは、弱者の救済ではない。
制度の維持のために、弱者を沈黙させることなのである。


🎯最後に — このシリーズの主張

司法は、正義を演じている。
だがその舞台の裏側では、
被害者が裁判制度によって二次被害を受け続けている。

だからこそ告発する。

「裁判所は被害者を救わない」

救われたいなら、制度に飲み込まれるだけではいけない。
声を上げ続けなければならない。