―ほぼ不可能であることを踏まえた“論理の最大展開”―**
2社間ファクタリングのような偽装金融スキームが、10年以上にわたり“規制の外”で拡大してきた背景には、金融庁と経産省の双方が「実質貸付」という核心問題から逃げ続けた行政構造がある。
しかし、これを理由に国家賠償を請求できるかといえば、結論は明確である。
原則として不可能である。
だが、ここで終われば論考として浅い。
不可能である理由を精密に構造化することで、逆に「可能性の残滓(ざんし)」がどこに存在するかが立ち上がる。
**1 国家賠償が成立する条件
(行為要件/違法性/因果関係/損害)**
国家賠償請求を成立させるためには、以下の四つが必要である。
- 行政の作為または不作為
- その行為が法的義務に違反していること
- 行政行為と損害の因果関係
- 現実の損害
この枠組みに照らすと、脱法金融の野放しについて国家責任を問うことが難しいのは、以下の二つが致命的だからである。
① 行政に“規制すべき法的義務”が存在しない
② 行政の不作為と個別の損害との因果関係を立証できない
この二点が、ほぼ絶望的な壁となる。
2 行政に「規制義務」があると認定することが不可能に近い
国家賠償の実務では、
「行政に規制義務があったのに怠った」
という構図を立証するのは極めて難しい。
なぜか。
日本の行政法は「行政裁量」を強く認める構造になっており、
「どこまで規制するか」「いつガイドラインを出すか」
といった判断は、基本的に行政機関の自由裁量の範囲に置かれている。
金融庁の場合、この裁量はさらに強い。
- 市場監督の手法
- 監督指針の更新時期
- 無登録業者への重点監視
- 実質貸付の判断基準づくり
- 業界への監視強化
これらはすべて「政策判断=高度な行政裁量」に属する。
裁量領域については、
「結果として悲惨な事態が起きても国家賠償の対象にならない」
というのが実務の鉄則である。
3 因果関係の立証がさらに無理難題になる
仮に行政がもっと積極的に規制していれば、
「自分は偽装ファクタリングの高利契約を結ばなかったはずだ」
と主張したところで、裁判所はこう返す。
「利用者の自由意思の介在により因果関係は断たれる」
つまり、
・契約したのは本人
・広告を見て信じたのも本人
・申し込みを決断したのも本人
となり、行政の不作為が直接原因だとは認められない。
これが国家賠償の壁である。
4 それでも“可能性の残滓”があるとすればどこか
完全にゼロではない。
極めて特殊な状況下では、国家が負うべき責任が問題となり得る。
以下は理論上の突破口である。
① 行政が「違法な行政解釈」を長期間放置した場合
もし金融庁が
「実質貸付に該当するケースを過度に狭く解釈し、違法金融を黙認した」
と評価できるほどの行為が立証できれば、
“行政解釈そのものの違法性”を問う議論は理論上は可能である。
現実には超ハードルが高い。
② 業者と行政の癒着があった場合
特定業者への利益誘導や、
行政と業界団体の不当な結託が証明された場合には、
国家賠償のハードルが一気に下がる。
ただし、これも証拠を集めるのはほぼ不可能。
③ 行政が“積極的に虚偽の安全性”を発信した場合
もし金融庁や経産省が
「2社間ファクタリングは安全です」
などと誤解を生む広報を行っていれば、
“行政の誤情報に基づく信頼利益侵害”が論点になり得る。
現状、そのような文書は存在しない。
④ 行政文書の不備が「立法不作為レベル」に該当する場合
国家賠償では極めて稀だが、
立法不作為について責任が認められた判例が存在する。
これを援用するなら、
・脱法貸金スキームを規制する法律を放置した
・国際的潮流に反し、シャドーバンキング監督を怠った
という主張は可能ではある。
しかし、実際の裁判で勝てる見込みは限りなく低い。
**5 では国家賠償は戦う価値がないのか?
結論:法的勝利は無理でも、政治的成果は狙える**
国家賠償は象徴的な訴訟として機能する。
法廷で勝つことを目的とするのではなく、
行政の不作為を可視化し、政策変更を迫る圧力を作り出す効果がある。
具体的には、
- メディア露出
- 国会質問の材料
- 行政ヒアリングのきっかけ
- 監督指針の改定機運
- シャドーバンキング監視体制強化の議論促進
つまり裁判は勝てなくても、
「行政を動かす政治装置」としては使えるということだ。
**結語
国家賠償は“法的勝利は不可能でも、制度改革には使える”。**
国家責任を問うことは、国を倒すことではない。
行政の盲点と怠慢を突き、
二度と同じ被害が生まれないように制度を作り直すための行為である。

