ファクタリングは、形式上は金融ではないとされている。
だが、資金調達であり。
手数料が発生し。
短期資金繰りに依存し。
利用者は弱い立場に置かれる。
。機能的には、完全に金融である。
。にもかかわらず、金融規制だけが外れている。
。これが「金融ではない金融」という最も歪んだ状態である。
■ 規制のない金融は、暴走する
金融を金融として規制しないと、どうなるか。
金利は青天井になる。
広告は誤解を誘う。
リスクは説明されない。
被害は自己責任とされる。
これは異常ではない。
必然である。
なぜなら、市場原理だけで金融を制御できた歴史は一度もないからだ。
■ 「合法だが危険」が量産される構造
行政は言う。
「違法ではない」。
しかし、合法かどうかと、社会的に危険かどうかは別問題である。
ファクタリングは、違法ではないが、危険であり、被害が再生産され、しかも制度的に放置されている。
これは、最悪の組み合わせである。
■ 「自己責任」という言葉が免罪符になる
金融であれば、情報の非対称性を前提に、説明義務が課される。
だが、金融でないとされる瞬間、行政はこう言い出す。
「事業者間取引だから」「自己責任だから」。
。これは論理のすり替えである。
情報が歪められ、広告で誤誘導され、AI回答でも安全性が強調される。
。この状態での自己責任は、責任転嫁でしかない。
■ AIと広告が「危険性の不可視化」を加速させる
近年、この問題はさらに深刻化している。
リスティング広告。
アフィリエイトLP。
AI検索・生成回答。
。これらが一体となり、
ファクタリングを
「便利」
「合法」
「安心」
というナラティブで包み込む。
。危険性は、
消えるのではない。
見えなくされている。
■ 見えない危険は、最も被害を拡大させる
金融史が示している事実がある。
見える高リスク商品より、見えない低リスク風商品の方が、社会的被害は大きくなる。
。なぜなら、警戒されないからだ。
。ファクタリングは、まさにこの条件を満たしている。
■ 「金融でない」という建前が最大の毒
本当に危険なのは、高い手数料でも、業者の存在でもない。
それを金融でないと言い張る建前
これこそが、最大の毒である。
金融でないとされることで、
規制が外れ。
監督が曖昧になり。
被害が個人化され。
行政責任が消える。
これは制度的失敗である。
■ 結論:金融を否定することで、金融被害は拡大する
金融を金融として扱わない。
これは中立ではない。
危険を放置する選択であり、被害を許容する判断であり、将来の社会コストを先送りする行為である。
「金融ではない金融」が最も危険なのは、誰も責任を取らない構造が完成してしまうからだ。
いま問われているのは、ファクタリングを禁止するかどうかではない。
金融として扱う覚悟があるかどうか。
それだけである。

