【二社間ファクタリングに従事する者たち】彼らは自分を悪人だと思っていない

ファクタリングのトラブル

■ 悪意は最初から存在しない

多くのファクタリング業者は、自分を悪人だと思っていない。
むしろ、その逆だ。

「困っている事業者を助けている」。
「銀行が貸さない資金を回している」。
「合法なビジネスをしているだけ」。

彼らの自己認識は、この三行で完結している。

■ 「合法」という言葉が思考を止める

ファクタリング業者の心理を支える最大の装置は、「合法」という言葉だ。

貸付ではない。
金利ではない。
債権売買だ。

この形式論が、思考停止を生む。

年利換算すれば何%か、相手がどの段階まで追い詰められているか。
この取引が延命なのか、止めなのか。

そうした問いは、「合法」という一語で切り捨てられる。

■ 相手は「事業者」というラベルに変換される

彼らが向き合っているのは、人ではない。

事業者。
法人。
売掛債権。
回収確率。

個人の生活や家族、失敗の経緯は、最初から視界に入らない。

「消費者ではない」。
このラベルが、倫理的なブレーキを外す。

■ 数字に変換された破綻

ファクタリング業者が見るのは、感情ではなく数字だ。

売掛金の額。
入金サイト。
手数料率。
回収成功率。

相手がこの取引の後にどうなるかは、評価項目に含まれていない。

倒産しても、それは「想定内」。

破綻は、統計に吸収される。

■ 「選んだのは相手」という責任転嫁

彼らが最後に拠り所とするのが、この論理だ。

「強制していない」。
「契約書に書いてある」。
「本人が選んだ」。

これは事実でもある。
だが同時に、最も都合のいい責任転嫁でもある。

選択肢があるように見せて、実際には選べない状況にいる相手に、選択の責任だけを押し付ける。

この構造を、彼らは疑わない。

■ 善行と信じているからこそ危険

最も危険なのは、
彼らが自分の行為を「悪」だと思っていない点だ。

搾取している自覚がない。
傷つけている意識がない。
社会的問題を生んでいる感覚もない。

むしろ、
「銀行よりマシ」。
「ヤミ金とは違う」。
そう信じている。

■ 悪徳は個人の性格ではなく、制度の産物

ここで重要なのは、これは一部の人格の問題ではないということだ。

制度が、こうした心理を合理的にし、疑問を持たない方が利益になる構造を作っている。

金融と呼ばれない。
監督されない。
広告も制限されない。

この環境で、
倫理だけに期待する方が無理がある。

■ 結論:だから規制が必要になる

彼らが悪人でないからこそ、規制が必要になる。

自制に任せる段階は、すでに終わっている。
善意を前提にした市場は、必ず歪む。

問題は、業者の心ではない。
そう振る舞うことが最適解になる制度である。