“掲載基準”というブラックボックスが被害を拡大させる―なぜ危険な金融広告だけが素通りするのか

ファクタリングのトラブル

広告は審査されている。
そう信じている人は多い。
しかし実際には、何が通り、何が落ちるのか、その基準はほとんど公開されていない。

この「掲載基準」という名のブラックボックスこそが、事業者向け金融被害を拡大させている最大の要因である。

掲載基準は存在するが、説明責任は存在しない

広告プラットフォームは、不適切な広告は排除していると説明する。
一定のガイドラインがあるとも言う。

だが、その基準がどの程度の厳しさなのか。
金融的リスクをどう評価しているのか。
誰の判断で可否が決まるのか。

これらは、ほぼ明かされない。

結果として利用者側には、「載っている=一定のチェックを通過した安全な情報」
という誤った前提だけが残る。

なぜファクタリング広告は通るのか

事業者向け金融の中でも、ファクタリング広告は異様なほど通過率が高い。

理由は単純だ。
形式上「金融ではない」からである。

融資ではない。
利息ではない。
貸金業ではない。

この言葉のマジックによって、本来なら厳しく審査されるべき「資金調達広告」が、一般的なサービス広告と同列に扱われる。

掲載基準は存在していても、分類そのものが誤っていれば意味がない。

掲載可否は「安全性」ではなく「形式」で決まる

ここで重要なのは、広告が通るかどうかが利用者にとっての安全性ではなく、法形式に適合しているかどうかで判断されている点だ。

手数料が高すぎないか。
年利換算すると異常ではないか。
利用者が誤解しやすい表現ではないか。

こうした実質的なチェックは、ほとんど行われない。

なぜなら、それを始めた瞬間、広告プラットフォーム自身が「金融的影響を理解している主体」になってしまうからだ。

ブラックボックスが生む“責任の蒸発”

掲載基準が不透明であることの最大の問題は、被害が起きたときに、誰も責任を取らない構造が完成する点にある。

業者は言う。
合法だ。
掲載も認められている。

広告側は言う。
審査はしている。
違法ではない。

行政は言う。
民間取引だ。
事業者同士だ。

こうして、被害だけが残り、責任は霧散する。

ブラックボックスとは、単なる非公開ではない。
責任を消す装置なのだ。

検索結果という「擬似的なお墨付き」

特に深刻なのは、検索結果やおすすめ枠に表示される広告だ。

これは利用者にとって、「自分で探した結果」ではなく、「選ばれた結果」に見える。

広告でありながら、判断材料の一部として機能する。
この時点で、広告は単なる宣伝ではなく、意思決定の誘導装置になっている。

掲載基準がブラックボックスである限り、この誘導は無自覚に、しかし確実に行われる。

なぜ行政はここに踏み込まないのか

行政がこの問題に消極的なのは、広告規制と金融規制の境界にあるからだ。

金融ではないと言われる。
広告に過ぎないと言われる。
事業者向けだから自己責任だと言われる。

しかし、そのすべてが重なった場所で、
現実の被害は起きている。

ブラックボックスを放置することは、中立ではない。
被害拡大を黙認する選択である。

結論:透明化なくして被害防止なし

問題は、広告を禁止することではない。
ファクタリングを否定することでもない。

最低限必要なのは、掲載基準の透明化だ。

・なぜ掲載が認められたのか
・どのリスクをどう評価したのか
・利用者にどの情報が伝わらないと判断したのか

これらを説明できない広告審査は、存在しないのと同じである。

ブラックボックスの中で、被害は静かに量産される。

そしてそれを可能にしているのは、制度ではなく、説明しないという選択そのものだ。