二社間ファクタリングの問題を語ると、必ず出てくる言葉があります。
「事業者なんだから、自己責任では?」しかし、本当にそうでしょうか。
判断力は、常に十分とは限らない
事業者だからといって、常に冷静で合理的な判断ができるとは限りません。
むしろ、利用が検討される場面は、
・支払い期限が迫っている
・資金が尽きかけている
・相談できる相手がいない
こうした、判断力が最も削られた状況です。
この状態で見た広告が、「前向きな資金調達」として設計されている。
それを「見抜けなかった方が悪い」と言えるでしょうか。
情報の非対称性は、明確に存在する
広告を出す側は、
・取引構造を熟知している
・常用時のリスクも分かっている
・どこで破綻が起きやすいかも知っている
一方、利用者側は、
・初めて見る仕組み
・比較する時間がない
・全体像を知らされていない
この差は、努力の差ではなく、立場の差です。
「合法」という言葉が与える誤解
広告に書かれた「合法」という一言は、非常に強い安心感を与えます。
多くの人は無意識に、合法=危険ではない=一定の歯止めがあると解釈してしまう。
しかし実際には、合法でも、保護も救済もない領域は存在します。
この誤解を放置したまま、責任だけを利用者に押し付けるのは、かなり無理があります。
問題は「選ばされた」構造にある
もう一つ重要なのは、選択肢の幅です。
広告が届く人の多くは、
・銀行融資が使えない
・公的支援に間に合わない
・取引先にも相談できない
事実上、選択肢が一つしかない状態に追い込まれています。
それを「自分で選んだ」と言えるのか。
責めるべき対象はどこか
冷静に整理すると、責任の重心はここにあります。
・危険性を知りながら説明しない側
・前向きに見える言葉だけを並べる広告構造
・それを止めない制度
この三点です。
信じてしまった側は、むしろ結果として、構造の弱点を引き受けさせられた存在です。
「自己責任」で片づけると、同じことが繰り返される
ここで利用者だけを責めると、何が起きるか。
・問題が個人の失敗に矮小化される
・制度は見直されない
・次の人が、同じ広告に引っかかる
このループが、何年も続いてきました。
結論:責めるべきは「信じたこと」ではない
信じてしまったこと自体を、責めることはできません。
問題は、
・知らされなかったこと
・考える材料が与えられなかったこと
・前向きに誤認させられたこと
ここにあります。
だからこそ、必要なのは非難ではなく共有
重要なのは、「なぜ引っかかったのか」を可視化することです。
それは恥でも、失敗談でもなく、次の被害を止めるための情報です。

