二社間ファクタリングの広告は、長年「グレーだが合法」という場所に立ち続けてきました。
では、その広告構造はどこまでなら許され、どこから先がアウトなのか。
広告が本来果たすべき最低限の役割
広告は本来、「選択を促すための情報提供」です。
つまり、
・仕組みが何か
・どんなメリットがあるか
・どんなリスクがあるか
この三点を、意思決定に耐える形で提示する責任があります。
問題は、二社間ファクタリング広告が、このうち最後の一点をほぼ語らないことです。
「嘘は書いていない」が最大の逃げ道
よくある反論がこれです。
「嘘は書いていません」
確かに、
・即日資金化できる
・取引先に知られない
・合法である
これらは事実です。
しかし、事実の一部だけを切り取ることは、必ずしも正直とは言えません。
広告が問題になるのは、「虚偽」ではなく重要な事実の不提示です。
書かれていないが、決定的に重要な事実
多くの広告では、次の点がほぼ説明されません。
・常用した場合、資金繰りは改善しない
・依存すると、毎月の可処分資金が減り続ける
・連鎖した時点で、抜け道はほぼなくなる
これは副作用ではなく、構造上ほぼ必然の結果です。
それを知っていれば、選ばなかった人は確実にいます。
「前向きな資金調達」という言葉の罪
広告で多用される「前向き」「支援」「資金繰り改善」という言葉。
これらは、
・時間を稼ぐ行為
・コストを前倒しで支払う行為
である実態を、意図的にぼかします。
ここで広告は、説明から演出へと変わります。
許されるラインはどこか
整理すると、許されるのはここまでです。
・短期の資金化手段であること
・高コストであること
・継続利用が危険であること
この三点を、分かる言葉で明示したうえでの広告。
これを欠いた時点で、広告は「案内」ではなく誘導になります。
「事業者向けだからOK」は通用するのか
長く使われてきた理屈があります。
「事業者向けだから、自己判断できるはず」
しかし現実には、
・資金繰りに追い詰められた零細事業者
・制度金融から排除された層
は、消費者とほぼ同じ、あるいはそれ以上に脆弱です。
この前提が崩れている以上、広告だけが自由であり続ける理由はありません。
広告が許され続ける本当の理由
それでも規制されない理由は単純です。
・金融商品と認めていない
・消費者取引でもない
・結果責任が個人に帰される
つまり、誰も最終責任を負わない構造がある。
広告は、その無責任地帯を最大限に利用しているにすぎません。
結論:許されているのではなく、放置されている
今の広告構造は、「問題ないから許されている」のではありません。
「問題だが、誰も止めていない」それだけです。
そしてそのコストは、常に一番弱い立場の事業者が支払っています。

