二社間ファクタリングは、「グレーゾーン」に存在しているのではない。
違法と断定されない位置に、意図的に設計された違法である。
この違いは決定的だ。
曖昧だから問題なのではない。
問題だと分かっていながら、そう認定されない形に組み上げられている。
そこに、このモデルの本当の悪意がある。
二社間ファクタリングの契約書を見れば、誰でも気づく。
・売掛金の買い取り
・ノンリコースではない買戻し
・期限利益喪失
・分割返済
・遅延損害金
これらは偶然並んでいるのではない。
貸金業法と利息制限法を正面から避けるための、完成された配置だ。
業者は言う。
「債権売買です」
「貸付ではありません」
「自由契約です」
だが実態はどうか。
リスクは一切引き受けない。
元本は必ず回収する。
回収不能時は、債務として追及する。
これは金融でも、売買でもない。
貸付の経済実体だけを抜き出し、法形式だけを取り替えたものだ。
では、なぜこれが今日まで生き延びてきたのか。
理由は単純だ。
「実質貸付」と公式に言われていないから。
それだけである。
行政も、司法も、業界も、この一言を避け続けてきた。
なぜか。
その瞬間、すべてが崩れるからだ。
もし「実質貸付」と認定されれば、まず貸金業法が適用される。
登録のない業者は、その瞬間に無資格営業になる。
過去の取引も、一斉に違法性を帯びる。
次に利息制限法が直撃する。
手数料は実質利息となり、年利換算で即、上限超過。
返還請求。
過払金。
損害賠償。
これは仮定の話ではない。
過去、何度も起きてきた金融史の再現だ。
だから言われない。
「一概には言えない」
「個別判断」
「実態に即して」
この曖昧語は、慎重さではない。
責任回避の定型文だ。
行政が一度でも踏み込めば、「なぜ今まで放置したのか」が問われる。
裁判所が一度でも断じれば、過去の判断すべてが検証対象になる。
だから誰も最初のボタンを押さない。
そして、この設計は広告と情報流通によって補強される。
「借入ではありません」
「金利なし」
「合法です」
これらは説明ではない。
誤認させるための言語装置だ。
さらに、「ファクタリング トラブル 弁護士」
という救済を求める検索語ですら、業者側が広告とSEOで占拠する。
助けを求めた瞬間、再び業者の論理に引き戻される。
これは偶然ではない。
違法性が可視化されないように、相談と裁判への入口を塞ぐ設計だ。
結果として起きているのは、極めて異常な現象だ。
被害はある。
破綻もある。
苦しんでいる事業者もいる。
だが、訴訟が少ない。
判例が積み上がらない。
行政は「問題が顕在化していない」と言う。
これは社会の無関心ではない。
違法が違法として観測されないように組まれたシステムの帰結だ。
二社間ファクタリングは、法律の抜け穴を突いたのではない。
法律が動かない位置を、周到に測量した上で作られている。
だから危険なのだ。
だから、絶対悪なのだ。
これは「改善すれば済む」制度ではない。
説明を丁寧にしても、ガイドラインを整えても、本質は変わらない。
違法にならないように設計された違法は、存在すること自体が社会への攻撃である。
このモデルが終わる瞬間は一つしかない。
誰かが、「実質貸付だ」と言う瞬間だ。
それは勇気ではない。
革命でもない。
ただ、事実を事実として言うだけだ。
だがその一言が、業界を終わらせ、行政の沈黙を暴き、司法を動かす。
だから今日も、その言葉だけが避けられている。
違法ではないからではない。
壊れてしまうからだ。
それが、二社間ファクタリングというビジネスの正体である。

