銀行グループ(以下、銀行G)が果たすべき社会的責任は、「損をしてでも助けること」ではない。
それは誰も求めていない。
問題は別のところにある。
銀行Gが、どの経済活動に資金を流し、どの経済活動を制度の外へ押し出しているのか。
この選択そのものが、社会に与える影響だ。
1. 銀行Gは“融資をしない”のではない
“より効率の良い回収構造”を選んでいるだけだ
銀行Gは、中小企業に融資をしない一方で、
- ファクタリング会社
- その関連SPC
- 高利回りを前提とした社債・私募債
といった形で、資金供給そのものは続けている。
ここに感情はない。
極めて合理的だ。
- デフォルトリスクは間接化できる
- 利回りは高い
- 社会的非難は直接浴びない
金融機関としては、教科書通りの判断だ。
だが、合理的であることと、社会的責任を果たしているかは別問題だ。
2. 問題は「誰から収益が生まれているか」
銀行Gの資金が流れ込む先――
ファクタリング会社の収益源は何か。
それは、
- 資金繰りに追い込まれた中小企業
- 「借入ではない」という誤認
- 他に選択肢を奪われた状況
こうした条件下で成立する高コスト資金調達だ。
つまり銀行Gは、
自らは直接貸さないが、
貸せなかった企業から収益が発生する構造には参加している
この立ち位置にいる。
ここにこそ、社会的責任の論点が生じる。
3. 「合法」「投資判断」は、責任否定にならない
銀行Gはこう主張できる。
- 融資ではない
- 社債投資である
- 貸金業ではない
- 違法ではない
すべて事実だ。
しかし、社会的責任は「違法かどうか」では測れない。
問われるのはこれだ。
自らが排除した主体を、
収益源とするビジネスモデルに、
組織として資金を供給することを是とするのか。
これは倫理の問題であり、
金融システムの設計思想の問題だ。
4. 銀行Gは「中立」ではいられない
よくある誤解がある。
銀行は市場の一参加者にすぎない
中立的な存在だ
これは成り立たない。
銀行Gは、
- 金融アクセスを選別する立場にあり
- 信用創造の入口を握り
- 市場構造そのものに影響を与える主体
だからこそ、どこに資金を流すか=どんな経済を支援するかという意味を持つ。
ファクタリング会社への資金供給は、単なる投資ではなく、
「この収益構造は、銀行Gとして容認できる」
というシグナルになる。
5. 社会的責任とは「説明責任」である
銀行Gに求められているのは、自己犠牲ではない。
求められているのは、これだけだ。
- なぜそのビジネスモデルに資金を入れるのか
- その収益が、どこから生まれていると認識しているのか
- 排除された企業に、どんな影響を与えていると考えているのか
これを説明できないなら、銀行Gは「社会的責任を果たしている」とは言えない。
結語
銀行Gは冷酷なのではない。
無責任なのでもない。
ただし――
自らの合理性が、
誰の犠牲の上に成立しているのかを
語ろうとしない限り、
社会的責任を果たしているとは言えない。
これは告発ではない。
説明を求める問いだ。
そして、この問いから逃げ続ける限り、銀行Gは「金融の中立者」を名乗る資格を失い続ける。

