説明責任が持ち出される場面。
2社間ファクタリングが問題視されるとき。
必ずと言っていいほど、説明責任という言葉が持ち出されます。
契約書に記載がある。
事前に説明している。
理解したうえで署名している。
この三点が揃えば、制度上の責任は果たしたとされます。
しかし、それは形式上の整理にすぎません。
説明が行われたことと。
結果が正当化されることは。
別の問題です。
説明が機能するための前提。
説明が意味を持つためには、前提条件があります。
聞く側に時間があること。
比較できる選択肢があること。
拒否できる余地があること。
2社間ファクタリングの利用場面では。
この前提がほぼ成立していません。
資金が尽きかけている。
支払い期日が迫っている。
他の手段はすでに断たれている。
この状態で行われる説明は。
理解を助けるものではありません。
合意を成立させるための手続きになります。
理解と選択は別の行為。
制度側は、理解したかどうかを重視します。
しかし、重要なのは。
選べたかどうかです。
条件を理解していても。
他に道がなければ。
それは選択ではありません。
受諾です。
説明責任という言葉は。
この差を曖昧にします。
理解していたのだから自己責任だという構図を作ります。
結果が繰り返される理由。
もし問題が説明不足だけであれば。
説明が改善されれば。
結果は変わるはずです。
しかし、現実は違います。
説明がなされていても。
同じ結果が繰り返されています。
短期的な資金確保。
中長期的な資金繰り悪化。
継続利用への固定化。
──結果として現れている影響を整理すると。
次のような傾向が確認されます。
・一度利用すると手数料負担が恒常化する。
・資金繰りの改善が先送りされる。
・他の金融手段から遠ざかる。
これは、理解不足の問題ではありません。
構造の問題です。
説明責任が免罪符になる瞬間。
説明している。
だから問題はない。
この論理が通用すると。
制度は結果に責任を負わなくなります。
結果がどうであれ。
説明していたかどうかだけが問われる。
その瞬間。
制度は自己修正能力を失います。
説明責任は。
本来。
結果を検証するための入口であるべきです。
結果を無視するための出口ではありません。
第4回の整理。
2社間ファクタリングは。
説明によって正当化できる取引ではありません。
理解と結果のあいだには。
制度的な断絶があります。
問題は。
説明が足りないことではありません。
説明しても同じ結果が生じる構造が。
放置されてきたことです。
次回は。
この結果が。
なぜ偶然ではなく。
必然として繰り返されるのかを扱います。
個別事例ではなく。
再現性のある構造として整理します。

