専門家がいれば防げたはずだという期待。
2社間ファクタリングの問題が語られるとき、必ず前提として置かれる考え方がある。
税理士や弁護士、金融の専門家が関与していれば、被害は防げたはずだという見方である。
しかし現実には、専門家が関わっていたケースでも取引は止まらなかった。
それは個々の専門家の資質や姿勢の問題ではなく、構造的に止められない条件が重なっていたからである。
専門家は取引の当事者ではなかった。
まず確認すべきなのは、専門家の多くが契約の当事者ではないという点である。
税理士は資金繰りについて助言を行う。
弁護士は契約書の内容を確認する。
しかし、契約に署名し、法的責任を負うのは事業者本人である。
専門家は助言する立場にとどまり、取引を強制的に止める権限を持っていない。
この立場の限界が、最初から存在していた。
違法ではないという判断が壁になった。
専門家が最も慎重になるのは、違法性の有無である。
2社間ファクタリングは、形式上は債権譲渡として扱われてきた。
明確に違法だと断定できない以上、専門家が契約そのものを否定することは難しい。
危険性を説明し、慎重な判断を促すことはできる。
しかし、「契約してはならない」と言い切る根拠を持てなかった。
この合法性の壁が、専門家の助言を弱いものにした。
助言が届く前に判断は迫られていた。
専門家が関与する時点で、利用者はすでに追い詰められていることが多い。
支払い期限が迫り、取引先との関係が崩れかけている。
従業員への給与の支払いも危うい。
この状況では、リスクの説明は冷静に受け止められない。
危険だと理解していても、他に手段がなければ進むしかない。
専門家の助言は、判断の余地がある状態を前提としている。
その前提自体が、すでに崩れていた。
問題の全体像は一人では見えなかった。
2社間ファクタリングの問題は、単発の契約だけを見ても分かりにくい。
資金不足が続く中で利用が繰り返される。
手数料が積み重なり、資金繰りが固定化していく。
この過程は、法務、税務、金融の境界をまたいで進行する。
税理士は税務を見る。
弁護士は契約を見る。
金融の専門家は資金の流れを見る。
それぞれが部分を見ていても、全体の危険性は浮かび上がらなかった。
止めた場合の責任だけが重かった。
専門家が取引を強く止めた場合、その結果に対する責任は重い。
もし資金が回らず倒産に至れば、その判断を責められる可能性がある。
一方で、取引を容認した場合、その後の経営悪化は事業者自身の責任とされる。
この非対称な責任構造が、専門家を慎重にし、踏み込んだ表現を避けさせた。
強く止めること自体が、専門家にとってリスクだった。
専門家の警告は制度につながらなかった。
決定的だったのは、専門家の知見が制度に反映される回路が存在しなかった点である。
2社間ファクタリングは、金融制度の中でも貸金業法の外側に置かれてきた。
個別の相談の中で警告が出されても、それは社会問題として集約されなかった。
指摘は点在するだけで、制度を動かす力にならなかった。
止められなかった理由。
専門家が止めなかったのではない。
止められる立場に置かれていなかったのである。
合法性の壁があり、利用者は切迫し、責任構造は歪み、専門領域は分断されていた。
この条件が重なった結果、専門知は十分に機能しなかった。
この問題は、専門家個人の姿勢を問う話ではない。
専門知が働かない構造そのものを、社会として見直すべき段階に来ている。

