問題が起きていないのではなく、処理されているだけ
2社間ファクタリングをめぐる被害は、今も確実に発生している。
資金繰りの悪化。
事業縮小。
連鎖的な取引依存。
しかし、それらは「事件」や「事故」として扱われない。
なぜなら、その多くが日常業務の延長として処理されているからである。
倒産は経営判断の結果とされ、資金不足は個別事情として片づけられる。
問題は存在しているが、常に別の名前で処理されてきた。
社会問題になるには「加害者」が必要になる
社会問題として定着するには、分かりやすい加害構造が必要になる。
詐欺。
違法金融。
強制的な搾取。
しかし2社間ファクタリングでは、契約は成立しており、形式上は合意がある。
加害者と被害者を明確に分けることができない。
その曖昧さが、問題化を妨げている。
結果として、「誰が悪いのか分からない問題」という扱いになり、社会は踏み込まない。
制度の失敗を認める話になるから扱われない
この問題を正面から扱えば、必ず制度の欠陥に行き着く。
正規の融資から排除された事業者が、どこへ流れたのか。
なぜ貸金業法の外側に、事実上の高金利取引が存在できたのか。
これらは、行政や金融政策の責任と無関係ではない。
問題化するということは、「見逃してきた側の責任」を問うことになる。
そのため、誰も主導して旗を振らない。
経済活動の一部として正当化されてきた
2社間ファクタリングは、「緊急時の資金調達」「銀行に頼れない事業者の選択肢」として語られてきた。
この語り口は便利である。
存在を肯定しなくても、否定もしなくて済む。
結果として、グレーな存在が「必要悪」として温存されてきた。
問題化すれば、この前提そのものが崩れる。
だから踏み込まれない。
被害が数字にならない
社会問題は、数字で語られたときに一気に可視化される。
被害額。
被害件数。
再発率。
しかし2社間ファクタリングには、公式な被害統計が存在しない。
倒産統計にも、資金調達手段までは反映されない。
被害は存在しても、数値として積み上がらない。
数字にならない問題は、政策課題になりにくい。
声を上げた側が不利になる構造
被害を訴えた事業者は、経営判断を誤った側として見られる。
金融リテラシーが低かったと評価される。
この構造では、声を上げるほど不利になる。
結果として、被害は沈黙の中で処理される。
沈黙が続けば、問題は存在しないことになる。
問題化しないこと自体が安定してしまっている
最も深刻なのは、問題化しない状態が長く続いた結果、それ自体が「安定した状態」になってしまった点である。
違法ではない。
契約は成立している。
個別案件として処理できる。
この条件がそろっている限り、社会はわざわざ不安定化する選択をしない。
今も問題化しない理由
問題が軽いからではない。
問題化することのコストが高すぎるからである。
制度。
責任。
経済構造。
これらに踏み込む覚悟がない限り、2社間ファクタリングは「問題ではあるが、問題にしない存在」として置かれ続ける。
そしてそれこそが、この取引が最も危険である理由である。

