善意を前提にした言葉が、思考停止を生んだ「支援」という語が持つ免責効果
「資金繰り支援」という言葉は、本来、困難な状況にある事業者を助ける行為を指す。
そこには、救済、応援、伴走といった肯定的な含意が自動的に付与される。
この言葉が使われた瞬間、取引の是非は、検証の対象ではなく善意の延長として受け取られやすくなる。
2社間ファクタリングが疑われにくかった最大の理由は、この言葉が入口に置かれたことにある。
金融なのか。
商取引なのか。
適正な対価なのか。
そうした問いが立ち上がる前に、「支援」という枠が先に置かれた。
行政とメディアが共有していた言葉の前提
行政もメディアも、「資金繰り支援」という言葉に対して強い警戒心を持ってこなかった。
中小企業支援。
事業継続支援。
経営下支え。
これらは、政策的にも社会的にも正当性を帯びた文脈で使われてきた言葉だ。
その延長線上に置かれた2社間ファクタリングは、最初から「悪いもの」として扱われなかった。
問題があるかどうかを検証する以前に、「困っている人を助ける仕組み」という理解が先行した。
この前提が共有されたことで、批判は慎重論や一部の過激な意見として処理されてきた。
支援という言葉が覆い隠した取引の非対称性
本来、支援とは、力関係の非対称を是正するために行われる。
しかし2社間ファクタリングでは、その非対称性がむしろ拡大している。
資金繰りに追い込まれた事業者と、資金を握る側との間に、対等な交渉は存在しない。
それにもかかわらず、「支援」という言葉が使われることで、この歪みは見えなくなる。
高額な手数料も、厳しい契約条件も、「助けてもらっているのだから仕方がない」という認識に吸収される。
言葉が、取引の不公正さを正当化する装置として機能した。
利用者自身の判断を鈍らせた効果
この言葉は、外部だけでなく、利用者自身の判断も鈍らせた。
「支援を受けている」という認識は、自分が搾取されている可能性を考えにくくする。
契約内容に疑問を持つことは、助けてくれている相手を疑う行為に見えてしまう。
結果として、明らかに不利な条件であっても、深く検討されないまま受け入れられる。
ここで起きていたのは、情報不足ではない。
言葉による思考の誘導だ。
「支援」を名乗ることの無責任さ
問題は、「資金繰り支援」という言葉が、結果責任を伴わない点にある。
支援を名乗りながら、事業が破綻しても責任を負わない。
再生につながらなくても、取引は正当化される。
言葉だけが先行し、成果や影響が問われない。
支援とは、本来、結果と切り離せない概念だ。
支援した結果、事業はどうなったのか。
継続できたのか。
再生への道は開けたのか。
これらを問わない支援は、支援ではない。
疑われなかった理由の正体
「資金繰り支援」という言葉が疑われなかったのは、
それが善意を前提とし、批判をためらわせ、責任の所在を曖昧にする力を持っていたからだ。
この言葉は、実態を説明するために使われたのではない。
実態を覆い隠すために、結果的に機能してしまった。
言葉を疑うことからしか始まらない
2社間ファクタリングの問題は、制度や契約だけの話ではない。
どの言葉で語られてきたかという問題でもある。
「支援」と呼ばれてきたから、疑われなかった。
疑われなかったから、検証されなかった。
検証されなかったから、被害は蓄積した。
だから次に必要なのは、新しい注意喚起ではない。
使われてきた言葉を、正面から疑い直すことだ。
支援とは何か。
誰のための支援なのか。
その問いを避け続ける限り、同じ構造は名前を変えて繰り返される。

