注意喚起は「違法性」が前提になる
社会的な注意喚起が増える典型的なケースは、明確な違法行為が確認された場合である。詐欺、無登録営業、法定利率超過など、線を越えた行為があれば、行政もメディアも比較的動きやすい。しかし2社間ファクタリングは、形式上は債権の売買として整理されてきたため、直ちに違法とは断定されにくい。
この時点で、注意喚起のハードルは一段上がる。違法ではないが問題がある取引について警告を出すことは、制度側にとって慎重にならざるを得ない領域だからだ。結果として、注意喚起は「出せない」のではなく、「出しにくい」状態に置かれる。
行政の注意喚起は責任を伴う
行政が特定の取引について注意喚起を行う場合、それは事実上、その取引に問題性があると公に示す行為になる。もし明確な根拠が弱ければ、業者側から反論や抗議を受ける可能性もある。法的な争いに発展するリスクもゼロではない。
2社間ファクタリングについては、個別事例の問題は把握されていても、制度全体としての評価が定まっていない。そのため、包括的な注意喚起を出すよりも、一般論にとどめるほうが安全な選択になる。この慎重姿勢が、結果的に注意喚起の少なさにつながっている。
対象が「事業者」であることの影響
消費者向けの商品やサービスであれば、注意喚起は比較的出しやすい。消費者保護という明確な目的があるからだ。しかし2社間ファクタリングの利用者は、原則として事業者である。この点が、注意喚起を難しくしている。
事業者は自己責任を前提とされやすく、リスクを理解した上で取引していると見なされがちだ。そのため、注意喚起を出さなくてもよいという暗黙の前提が働く。だが実際には、追い込まれた状況で十分な比較検討ができない事業者も多い。この現実と制度上の前提のずれが、警告の空白を生んでいる。
注意喚起が業界の正当化に利用される懸念
注意喚起を出すこと自体が、逆に業界の正当性を補強してしまう可能性もある。注意喚起が出るということは、制度の中で一定の位置づけが与えられたと受け取られかねない。業者側が「行政も認識している合法的な取引だ」と宣伝に利用するリスクもある。
このジレンマは深刻だ。注意喚起を出さなければ被害は防げない。しかし出せば、取引の存在を公認するような印象を与えてしまう。その結果、何も言わないという選択が続いてきた。
注意喚起は万能ではないという諦観
もう一つの要因は、注意喚起そのものに対する諦観である。2社間ファクタリングを利用する多くの事業者は、すでに切迫した状況にある。その段階で「注意してください」と言われても、現実的な代替手段がなければ意味を持たない。
制度側には、注意喚起を出しても利用は止まらないという認識がある。結果として、実効性の乏しい警告よりも、沈黙が選ばれてきた。この判断が、注意喚起の数をさらに減らしている。
増えないこと自体が異常である
重要なのは、注意喚起が少ないことを安全の証拠と解釈してはならないという点だ。使われ続けている取引であり、抜け出せなくなる事例も存在する。それにもかかわらず、警告がほとんど発せられない。この状況自体が、制度と現実の乖離を示している。
注意喚起が増えないのは、問題が小さいからではない。問題を正面から扱うための枠組みが、いまだ整っていないからである。その空白が埋まらない限り、同じ問いは何度でも繰り返される。

