行政はなぜ2社間ファクタリングの問題事例を集めないのか

ファクタリングのトラブル

──「違法ではない」で思考停止する制度の構造

2社間ファクタリングについて、行政が公式にまとめた「問題事例集」は存在しない。
注意喚起の文書や相談窓口の案内はあっても、どのような事業者が、どのような経緯で、どのような結果に至ったのかという具体的な集積は、意図的なほど見当たらない。

これは怠慢なのだろうか。
あるいは、把握できていないだけなのだろうか。

答えは、どちらでもない。
集めなくても済む構造が、最初から出来上がっているのである。


「違法ではない」が調査を止める

行政が2社間ファクタリングに対して繰り返す説明は、ほぼ一貫している。

「現行法上、直ちに違法とは言えない」
「契約に基づく民間取引である」

この整理がなされた瞬間、問題事例を集める動機は消える。
違法でなければ、監督対象ではない。
監督対象でなければ、実態調査は優先事項にならない。

こうして、違法性の有無が“関心の有無”にすり替えられる

だが本来、制度の健全性と違法性は別の話だ。
過去の金融問題の多くは、「違法ではなかったが、明らかに有害だった」段階を経て顕在化している。


問題事例を集めると、次に問われること

行政が本気で問題事例を集め始めた場合、次に避けられない問いが生じる。

  • なぜ放置してきたのか
  • なぜ制度設計を見直さなかったのか
  • なぜ注意喚起で足りると判断したのか

これは、過去の判断そのものを検証する作業になる。
当然、責任の所在が浮かび上がる。

一方、事例を集めなければ、「実態が分からない」「個別事案である」という説明が使い続けられる。

集めないこと自体が、最も安全な自己防衛になる。


「相談件数」はあっても「結果」は追わない

行政はしばしば、「ファクタリングに関する相談は寄せられている」と述べる。

だが、そこで語られるのは件数までだ。
その後、その事業者がどうなったのか。
経営は立て直せたのか。
別の資金調達に移れたのか。
あるいは、廃業したのか。

結果は追われない。

なぜなら、結果を追い始めた瞬間、それは「制度の影響」を検証する行為になるからだ。


問題が「個別化」される便利さ

2社間ファクタリングの問題は、常に「個別の判断ミス」「個別の契約内容」に分解される。

この分解は、非常に都合がいい。

・制度の問題ではない
・市場全体の話ではない
・たまたま条件が悪かっただけ

こうして、構造的問題が永遠に個別事案に押し戻される

行政が事例を集めない限り、この整理は崩れない。


集めないのではない。「集められない」構造

もう一つ、見逃せない現実がある。

2社間ファクタリングの利用者は、問題が起きても声を上げにくい。

・取引先に知られたくない
・経営失敗を公にしたくない
・今後の信用に響く

この沈黙を前提とした仕組みに対して、行政が能動的に事例を掘り起こさなければ、
データが集まるはずがない。

だが、その能動性は示されてこなかった。


「問題が見えない」のではない

ここまで整理すると、はっきりする。

行政が2社間ファクタリングの問題事例を集めないのは、問題が存在しないからではない。

問題を集めると困る論点が多すぎるからだ。

違法性。
制度設計。
過去の判断。
監督の範囲。

それらすべてに触れずに済む最短ルートが、「違法ではない」「民間の自由な取引」という言葉なのである。


問題事例が集まらない社会は、問題を再生産する

事例が集まらなければ、啓発は抽象論に留まる。
注意喚起は一般論で終わる。
同じ状況に追い込まれた事業者は、同じ選択肢に辿り着く。

これは偶然ではない。
問題を集めない制度が、問題を温存している

行政が沈黙しているのではない。
沈黙が最も合理的になる設計が、ここにはある。