「合法ヤミ金」という言葉から逃げることで見えなくなるもの
「合法ヤミ金」。この言葉を避けて通るから話がおかしくなる。
2社間ファクタリングの広告は、金融ではないと言い張る。貸金ではないと言い張る。だから規制対象ではないと胸を張る。だが実態として何が起きているかを見れば、その輪郭ははっきりしている。資金繰りに困った弱い立場の事業者に対して、法の隙間を縫いながら高額手数料を取り続ける。これを合法ヤミ金と呼ばずして、何と呼ぶのか。
合法ヤミ金を成立させている「もう一つの要素」
ここで忘れてはならないのは、合法ヤミ金を成立させ、維持させ、巨大化させている要素がもう一つあるという事実だ。
それは他でもない、「利用者」である。
2社間ファクタリングを選択する利用者は、自らを被害者だと感じていることが多い。資金繰りに追われ、銀行に断られ、選択肢が限られている中で「最後の救い」として合法ヤミ金的なスキームに手を伸ばす。気持ちは理解できる。しかし、そこで立ち止まって考えるべきだ。自分が支払うその高額手数料は、合法ヤミ金の燃料になっているという現実を。
合法ヤミ金は「利用されるから」太る
合法ヤミ金は、勝手に巨大化するのではない。
利用されるから巨大化する。
需要があるから新規参入が増える。
回るからビジネスとして成立する。
そしてその需要を作り出しているのは、まぎれもなく2社間ファクタリングの利用者自身だ。ここを直視しない限り、問題の本質には辿りつけない。
便利さの裏側には合法ヤミ金の論理がある
2社間ファクタリングは便利だ。入金が早い。審査が緩い。説明も甘い。だがその便利さの裏側には、合法ヤミ金の論理が横たわっている。時間を金に換える取引だと言えば聞こえはいいが、実態は「追い込まれた人間から高い代償を取る仕組み」である。そこに手を出すたび、合法ヤミ金は正当化され、社会的な存在感を増し、さらに巧妙な形で拡散していく。
被害者であり、同時に加担者でもあるという残酷さ
被害者でありながら、同時に加担者である。
ここに、この問題の残酷な二重構造がある。
2社間ファクタリングの利用者は、「自分だけが苦しいから、自分だけが助かればいい」という心理に陥りやすい。だが、その瞬間に支払われた高額手数料は、次の犠牲者を生み出すための広告費になり、営業網になり、合法ヤミ金の温床をさらに広げる力になる。つまり利用すること自体が、合法ヤミ金の先兵になっているということだ。
不都合な真実から目を背けないために
厳しい言い方になるが、ここは言葉を濁すべきではない。
2社間ファクタリングを安易に利用するという行為は、合法ヤミ金を助長する行為である。
その積み重ねが業界を太らせ、参入者を増やし、被害者を増やしていく。
もちろん、資金繰りの切迫は現実だし、精神的に追い詰められた状況で冷静な判断を求めるのは酷かもしれない。それでもなお、社会の構図として見るならはっきり言える。合法ヤミ金という仕組みを支えているのは、制度ではなく、需要であり、その需要の担い手が利用者である。
燃料は「法律の抜け穴」ではなく「需要」である
だからこそ、「利用するしかなかった」という言葉で終わらせてはいけない。
利用した事実が、合法ヤミ金の延命装置になる。
支払った手数料が、合法ヤミ金の成長資金になる。
そしてその選択が、次の誰かを同じ場所へ追い込む道を広げてしまう。
2社間ファクタリングを本気で問題視するなら、「業者が悪い」という一元論で思考停止してはならない。利用の継続こそが温床であり、利用者の選択こそが合法ヤミ金を社会に根付かせている。この不都合な真実を語らない限り、どれほど制度論を重ねても、現実は変わらない。
合法ヤミ金をなくしたいなら、まずその燃料を絶つことである。
燃料とは法律の抜け穴ではない。利用であり、需要であり、「仕方がない」という諦めの心理だ。
そしてその燃料に火を注いでいるのは、他ならぬ私たちの選択である。

