2社間ファクタリングは、危険性や不当性が十分に議論されないまま、市場だけが拡大し続けている。これは「問題がないから広がった」のではない。むしろ逆で、問題として扱われなかったからこそ拡大したという点に、この手法の異常性がある。2026年現在、この構造を整理せずに利用者増加を語ることはできない。
問題化される前に「処理」されてしまう金融手法
本来、社会問題になる金融行為には共通点がある。被害が可視化され、当事者の声が集まり、行政やメディアが反応する。しかし2社間ファクタリングでは、その前段階で事態が終わってしまう。資金に窮した事業者は、検索し、比較し、申し込み、資金を受け取り、その後の悪化を個別に抱え込む。この一連の流れがあまりにも速く、問題として共有される時間が存在しない。
結果として、失敗は「経営判断のミス」として個人に帰属し、金融手法そのものが問われることはない。この時点で、社会問題化の芽は摘み取られている。
被害が分散することで責任の所在が消える
2社間ファクタリングの特徴は、被害が一点に集中しないことにある。銀行不祥事のように、明確な被害者集団や損害額が表に出るわけではない。個々の事業者が、少しずつ資金繰りを悪化させ、やがて撤退する。倒産しても、原因は複合的に語られ、2社間ファクタリングは背景要因の一つとして埋もれる。
この「分散した失敗」は、統計にも報道にもなりにくい。結果として、誰も責任を問われず、誰も止められない状態が維持される。
広告と比較サイトが「論点そのもの」を消している
2社間ファクタリングが問題にならない最大の理由は、広告と比較サイトの設計にある。ここで行われているのは、誇張ではなく、論点の削除だ。比較されるのは業者の対応速度や実績であり、そもそもこの手法を使うべきか否かという問いは存在しない。
検索結果に並ぶ情報をなぞるだけで、「検討した」「比較した」という感覚が完成する。この時点で、判断は終わっている。危険性を議論する余地はなく、問題は「解決済み」に見える。これが、問題が問題として浮上しない最大の要因だ。
「違法ではない」という言葉が議論を遮断する
2社間ファクタリングは、違法ではないという説明と常にセットで語られる。この言葉は、本来は法的整理に過ぎない。しかし現実には、「違法でなければ問題ない」という短絡的な理解を生み、議論を遮断する役割を果たしている。
実質的に高金利貸付と変わらない契約内容であっても、脱法的な構造であっても、「違法ではない」の一言で思考が止まる。これは合法性を盾にした典型的な合法ヤミ金、脱法金融の振る舞いであり、問題が深掘りされない理由でもある。
士業と公的機関が関与しないことで「警告音」が消えた
問題を問題として扱うためには、止める立場の存在が不可欠だ。しかし2社間ファクタリングにおいて、士業や公的支援機関は次第に距離を取るようになった。止めても代替策を提示できない、関与すれば責任が生じる、結果として「触れない」ことが合理的になる。
この沈黙は、容認ではない。しかし市場から見れば、反対意見が存在しない状態として映る。その空白を、広告と比較サイトが完全に埋めている。
問題にならないこと自体が、拡大を保証している
以上を踏まえれば明らかだ。2社間ファクタリングが拡大したのは、必要とされたからではない。問題にならない設計が、意図せず完成してしまったからである。被害は個別化され、議論は遮断され、止める主体は不在となり、残るのは「便利そうな選択肢」だけだ。
これは市場の成熟ではない。規制と啓発が追いつかなかった結果、生まれた歪みである。2社間ファクタリングを巡る本当の問題は、個々の契約条件ではなく、ここまで問題化されなかった社会構造そのものにある。
2026年の時点で問うべきなのは、「誰が使ったのか」ではない。なぜここまで見過ごされてきたのかという一点である。この問いから逃げ続ける限り、2社間ファクタリングはこれからも静かに、しかし確実に拡大し続ける。

