「今月だけ何とか凌げば、来月は持ち直すはずだ」。
2社間ファクタリングを使い続ける会社の多くは、この言葉を何十回も自分に言い聞かせながら、同じ選択を繰り返していく。そして現実には、来月は一度も良くならない。毎回、状況は少しずつ悪くなっていくだけだ。
この「今月だけ」の積み重ねが、最終的にどこに行き着くのか。
それは突然の破綻ではなく、ほぼ例外なく“同じ光景”に収束していく。
「今月だけ」が成立するたびに、来月は必ず苦しくなる構造
2社間ファクタリングの最大の罠は、「一時的に楽になる感覚」が確実に得られてしまう点にある。
資金が振り込まれ、支払いが間に合い、ひとまず倒産は回避できる。この成功体験が、「この手段はまだ使える」という誤った学習を経営者の頭に刻み込む。
しかし現実には、その瞬間に次月の首が締まっている。
売掛金という将来の収入を先食いしている以上、翌月の資金不足は必ず拡大する。そこに高率の手数料が上乗せされることで、実質的な資金流出はさらに加速する。
「今月だけ」が一度成立すると、次の月は「前回より少し多めに」使わざるを得なくなる。
この段階で、会社はもう自力回復のレールから外れている。
5回目あたりから、資金繰りの性質が変わる
3回目、4回目までは、まだ「事故処理」の延長に見えることもある。
だが5回目前後から、資金繰りの性質そのものが変質する。
この段階の会社は、売上で回しているのではなく、「次のファクタリングで前のファクタリングを返す」構造に入っている。
実務的には、ここからが本当の意味での破綻プロセスの始まりだ。
数字の上ではまだ黒字に見えても、キャッシュフローは完全に死んでいる。
社長の頭の中からは、「どう立て直すか」という発想が消え、「どうやって今月を越えるか」しか残らなくなる。
「やめたい」と思った瞬間に、もうやめられない現実
この段階に入った経営者の多くは、内心ではすでに分かっている。
「このまま続けても、良くならない」ということを。
それでも止まれない理由はシンプルだ。
止めた瞬間、その月の支払いが成立しないからだ。
従業員の給料、外注費、家賃、税金、リース料。
どれか一つでも落とせば、会社の信用は一気に崩れる。
結果として、「もう一回だけ」「本当に今月だけ」という自己暗示をかけながら、6回目、7回目に進んでいく。
この状態は、資金繰りの問題というより、心理的にはほぼ依存症に近い。
合理的な判断ができなくなっているのではなく、「合理的な判断を選べる余力」そのものが奪われている。
最後の月に起きるのは、だいたい同じ展開
「今月だけ」を繰り返した会社の最終局面は、驚くほど似通っている。
まず、いつもの業者から断られる。
「枠がいっぱいです」「今回は条件が合いません」という形で、実質的な取引停止を食らう。
次に、より条件の悪い業者を探し始める。
手数料が跳ね上がり、契約書の中身も雑になり、回収の圧も露骨に強くなる。
ここで初めて、「これはもう普通の金融じゃない」と気づく経営者も多い。
それでも背に腹は代えられず、最後の一社と契約する。
この時点で、入ってくる金額は「延命」にもならないほど小さくなっていることが多い。
そして数日から数週間後、どこか一つの支払いが落ちる。
税金か、家賃か、外注費か、従業員の給料か。
そこから連鎖的に信用不安が広がり、取引停止、口座凍結、差押え、実質倒産という流れに入る。
これが、「今月だけ」を続けた会社が最後に見る光景だ。
本当に残酷なのは、破綻の直前まで「希望」が錯覚できる点
2社間ファクタリングの一番タチが悪いところは、破綻するその直前まで、「まだ何とかなる感覚」を演出してくることだ。
・毎月、資金は一応入ってくる
・支払いもギリギリ間に合っている
・取引先も、まだ完全には切れていない
・数字上は、赤字に見えないことすらある
この状態が続くせいで、経営者は最後の最後まで決断を先送りしてしまう。
本来なら、3回目や4回目の時点で取るべきだった「痛みを伴う撤退判断」が、永遠に先延ばしされる。
その結果、残るのは、選べたはずの選択肢がすべて消えたあとの「何も残っていない破綻」だけになる。
結論:「今月だけ」は延命ではなく、破綻を確定させるスイッチ
「今月だけ何とかする」という選択は、現実には延命ではない。
それは、破綻までのカウントダウンを一つ進める行為にすぎない。
2社間ファクタリングを3回、4回と使い続けている時点で、
もうその会社は「危険水域」ではなく、「崩壊ルート」に乗っている。
それでも、まだ止まれるタイミングは存在する。
それは、「今月だけ」という言葉が、頭に浮かんだ瞬間だ。
その瞬間に、ファクタリング以外の手段を一つ使う。
取引先に正直に事情を話す。
支払い条件の変更を交渉する。
税務署や年金事務所に分納相談を入れる。
弁護士や中小企業診断士に、今の数字をそのまま持ち込む。
この一手を打てるかどうかで、
「最後に見る光景」は、まったく別のものになる。

