2社間ファクタリングがもし違法認定され、行政責任や国家賠償、さらには刑事責任の議論にまで発展したとき、最大の証拠として浮上するのが金融庁内部の文書と検査記録である。口頭の説明や後付けの釈明はいくらでも修正できるが、文書だけは消えない。誰が、いつ、何を知り、どのような判断をしたのか。その痕跡は、すべて紙と電子データの中に残っている。
内部文書は、組織を守るために作られている
まず確認しておくべきは、金融庁の内部文書と検査記録は、原則として「将来の責任追及から組織を守るため」に作られているという点である。
検査報告書、監督メモ、法務意見書、決裁起案、議事録。これらは表向きには業務記録だが、実務の世界では、常に訴訟や国会答弁、監査を意識して作成される。強い断定表現は避けられ、「疑義がある可能性」「検討を要する」「今後の課題」といった曖昧な言い回しが多用されるのは、後に責任を問われないためである。
この設計がうまく機能している限り、文書は組織を守る盾になる。
「当時は違法とまでは判断していなかった」
「法解釈が未整理だった」
「市場への影響を考慮した」
こうした説明は、ほとんどの場合、内部文書によって裏付けられる。
それでも文書が「凶器」に変わる瞬間がある
しかし、この盾は永遠ではない。
内部文書が組織を守るために作られているからこそ、逆に、本当に危険な文書は必ず存在する。
実質貸金性を明確に指摘した法務メモ。
是正措置を求める検査報告書の原案。
銀行グループへの影響を理由に介入を見送る決裁起案。
こうした文書が一つでも表に出た瞬間、状況は一変する。
裁判や国会調査の場で問われるのは、最終判断そのものではない。問われるのは、「その判断を下す前に、何を知っていたか」である。
違法性を指摘する内部意見が存在していた。
それを知りながら、是正を見送った。
この二点が結びついた瞬間、行政裁量という防波堤は一気に崩れる。
検査記録は、現場よりも幹部を追い詰める
特に危険なのが検査記録である。
検査官の作成する調書やヒアリングメモ、是正指示案、報告書草稿は、最終的に幹部の決裁を経て確定する。ここには、修正の履歴、コメントの痕跡、削除された記載が、電子データとして残る。
この履歴が裁判で開示されれば、誰がどの段階で何を書き換えたのかが、ほぼ完全に再現される。
興味深いのは、これらの記録が、現場の検査官よりも、むしろ幹部層を強く追い詰める点である。
検査官は「問題がある」と書いた。
しかし上司が「表現を弱めろ」と指示した。
最終的に決裁した幹部が是正を見送った。
この流れが記録に残っていれば、責任の矛先は自然に上へ向かう。
現場は守られ、決裁権者が孤立する。
これは、過去の金融不祥事裁判でも繰り返されてきた構図である。
開示される文書と、最後まで守られる文書
もう一つ重要なのは、すべての内部文書が裁判で自動的に開示されるわけではないという点である。
行政文書には、職務の公正を害するおそれ、意思決定過程を害するおそれ、第三者の権利利益を害するおそれなどを理由に、非開示とされる領域が広く存在する。特に、法務意見書や内部協議メモは、最後まで黒塗りで守られることが多い。
しかし、国家賠償訴訟や刑事事件の段階に入ると、話は変わる。
裁判所は、違法性の認定に不可欠な文書については、非開示決定を覆して提出を命じることがある。さらに、検察の捜査に入れば、強制的な押収によって、行政側の管理を完全に離れる。
ここで初めて、本来は外に出るはずのなかった文書が、証拠として法廷に並ぶ。
内部文書が守るのは「組織」であり、「個人」ではない
ここで最も重要な点がある。
金融庁の内部文書と検査記録は、個々の職員を守るために存在しているのではない。守っているのは、あくまで「金融庁という組織」である。
組織として合理的だった、手続は踏んでいた、違法性は明確ではなかった。そう説明できる限り、組織は守られる。
しかし、個人は違う。
決裁文書に署名した幹部。
修正指示を書き込んだ上司。
削除を命じた審議官。
これらの名前は、すべて文書に残る。
組織は「当時の判断」として防御できても、個人は「あなたが決めた」と特定される。内部文書は、最後の最後で、組織を守り、個人を切り離す装置として機能する。
誰が追い詰められるのかは、すでに決まっている
結論は、きわめて冷酷である。
内部文書と検査記録が本当に追い詰めるのは、違法業者ではない。現場の検査官でもない。金融庁全体でもない。
最も危険な立場に立たされるのは、
「違法性を知りながら、是正を見送ったと記録に残っている幹部」
ただその人だけである。
2社間ファクタリング問題がもし法廷に持ち込まれたとき、勝敗を分けるのは法律論ではない。
どの文書が残っていて、誰の名前がそこに書かれているか。
この一点で、すべてが決まる。

