2社間ファクタリングに実質貸付の違法認定が出た瞬間、最初に動き出すのは業者に対する民事請求である。しかし、本当に深刻な問題は、その先にある。争点は必ず、金融庁の監督と行政の不作為に移っていく。
この問題は、単なる業者規制では終わらない。違法認定は、金融行政そのものを被告席に座らせる入口になる。
最初に起きるのは、業者相手の民事訴訟の集中
違法認定が確定すれば、利用企業側からの請求は一気に噴き出す。
過払い返還請求、
無効契約確認訴訟、
不法行為に基づく損害賠償請求。
ここまでは、典型的な金融トラブルの延長線である。問題は、この段階で必ず浮上する論点があるという点にある。
「なぜ、こんな取引が長年放置されてきたのか」「行政は、何をしていたのか」ここから、訴訟の矛先は、業者ではなく、監督当局に向かい始める。
次に争われるのは、金融庁の監督不作為である
行政訴訟で最初に問題になるのは、国家賠償法に基づく監督不作為責任である。
争点は極めて明確だ。
・金融庁は、この市場をいつから把握していたのか
・実質貸付性を認識していたのか
・なぜ注意喚起や指導を出さなかったのか
・なぜ制度整備を放置したのか
国家賠償の要件は高い。単なる判断ミスでは足りず、「違法な職務怠慢」が必要になる。しかし、この事件では、その要件を満たす可能性が現実に出てくる。
なぜなら、2社間ファクタリングは、
高率手数料、継続依存構造、紹介料転嫁、銀行・証券・ファンドの関与、いずれも長年、金融庁の検査網の内部で観測可能な事実だったからである。
「知らなかった」では済まされない状況が、すでに成立している。
最大の争点は、「把握していたか」「黙認していたか」である
行政訴訟で最も重い争点になるのは、違法性の判断時期である。
金融庁は必ずこう主張する。
当時は違法性が明確でなかった。
裁判例も確立していなかった。
監督権限の対象外だった。
これに対して原告側は、次の点を突いてくる。
・銀行検査・証券検査で高利回り案件を把握していた事実
・営業委託費・紹介料の異常な支出記録
・内部検討メモや照会文書の存在
・業界内で実質貸付性が共有されていた経緯
争点は、「違法だと断定できたか」ではない。
**「違法の疑いが濃厚な状態を、長年放置していたかどうか」**である。
ここが認定されれば、監督不作為は現実の責任になる。
行政訴訟は、銀行・証券・ファンドにも波及する
さらに深刻なのは、訴訟の対象が金融庁だけで終わらない点にある。
行政訴訟の過程で、必ず次の論点が浮上する。
・銀行は、この取引を投融資案件としてどう審査していたのか
・証券会社は、どのような説明で商品を販売していたのか
・ファンド運用者は、実質貸付性を認識していたのか
ここで争われるのは、行政責任と同時に、金融機関側の共同不法行為責任である。
行政が黙認し、金融機関が資金を供給し、証券が販売していたのであれば、市場全体が一体として違法構造を支えていたことになる。
違法認定は、必ず連鎖訴訟を生む。
検査記録と内部文書が、最大の証拠になる
この種の行政訴訟で決定的な意味を持つのは、検査記録と内部文書である。
・検査官メモ
・内部検討資料
・金融機関からの報告書
・照会と回答の履歴
これらが情報公開請求や証拠提出で開示されれば、「いつ、誰が、何を知っていたか」は、ほぼ確実に可視化される。
ここで最も危険なのは、次のような記載である。
「実質貸付に近い」「高率手数料が問題」「継続依存の懸念あり」こうした内部認識が残っていれば、不作為は過失ではなく、認識ある放置として評価される。
国家賠償が成立するかどうかは、ほぼこの一点で決まる。
行政訴訟が制度全体を動かす可能性
この問題の本質は、個別の賠償額ではない。
行政訴訟が本格化すれば、必ず次の動きが連鎖する。
・国会での追及
・会計検査院による監査
・行政監察の実施
・金融庁内部の責任問題
ここで問われるのは、単なる不作為ではなく、監督制度そのものの欠陥である。
登録制度を作らなかった理由、媒介規制を設けなかった理由、注意喚起を出さなかった理由。
これらは、すべて制度設計の責任に直結する。
違法認定は、過去の行政運用を根本から作り直す引き金になる。
最後に残る現実は、極めて重い
整理すれば、結論は明確である。
2社間ファクタリングに違法認定が出た場合、行政訴訟は、業者を超えて、金融庁、銀行、証券、ファンドにまで連鎖的に広がる。
争われるのは、取引の適法性ではない。
「誰が、この市場を長年放置してきたのか」という責任の所在である。
そしてこの問題は、時間が経つほど、行政側に不利になる。
記録は残り、関係者は生きており、市場は拡大してしまった。
動かなかった年月そのものが、最大の証拠になる。
2社間ファクタリング問題が本当に危険なのは、ここにある。
それは、一つの金融商品ではなく、金融行政の責任構造そのものを揺さぶる事件だからである。

