――金融庁・国・国会・内閣のどこに責任は帰属するのか
■ 国家賠償の被告は「国」だが、責任主体は一つではない
国家賠償請求において、形式上の被告は常に「国」である。
金融庁を被告として直接訴えることはできない。
国会や内閣も、訴訟上は独立した被告にはならない。
しかし、これは責任主体が一つであることを意味しない。
国家賠償法一条が対象としているのは、「公権力の行使」によって損害を与えた国または公共団体であり、その背後には必ず、具体的な行政機関と立法機関の作為または不作為が存在する。
問題は、誰の行為が、どの範囲で、国の違法行為として評価されるのかである。
■ 金融庁――最前線の監督責任と、最も重い説明義務
まず第一に問われるのは、金融庁である。
二社間ファクタリング市場を最も直接的に把握し、検査と監督の権限を持っていたのは金融庁である。
市場の実態、業界構造、金融機関の関与、高率手数料と破綻誘発構造。
これらを最も早く、最も詳細に把握できた立場にあった。
したがって、監督不作為の一次的責任主体は、金融庁以外にあり得ない。
訴訟上は国が被告になるとしても、違法性と過失の具体的内容は、金融庁の不作為として構成される。
検査をなぜ強化しなかったのか。
行政指導をなぜ出さなかったのか。
実態判断をなぜ回避したのか。
法廷で最初に追及されるのは、必然的に金融庁の判断過程である。
■ 国会――立法不作為の最終責任主体
次に浮上するのが、国会である。
立法不作為の責任は、理論上、国会に帰属する。
制度の空白を認識しながら、登録制度も、上限規制も、開示義務も整備しなかった以上、その責任は立法府にある。
もっとも、国家賠償訴訟で国会議員個人が責任を問われることはない。
問われるのは、「立法府としての国会」が、危険な市場を長期間放置したという制度責任である。
薬害訴訟や選挙制度訴訟が示してきたとおり、立法不作為は原則として免責されるが、例外的に、著しく合理性を欠く場合には、国家の違法行為として評価される。
ここで重要なのは、国会が単独で責任を負うわけではないという点である。
立法不作為は、多くの場合、行政からの制度提案の欠如と不可分である。
■ 内閣――行政と立法を接続する「制度責任」の中枢
そこで浮上するのが、内閣である。
内閣は、行政の最高責任機関であると同時に、法律案提出権を持つ、立法過程の事実上の中枢でもある。
金融庁が制度の必要性を認識しながら法改正を提案しなかったのか。
あるいは、提案したが内閣が政治判断で止めたのか。
そもそも、内閣として制度化の優先順位を意図的に下げていたのか。
ここが、この問題の最も政治的に重い部分である。
立法不作為が成立する場合、その背後には必ず、内閣の不作為が存在する。
国会が何もしなかったのではない。
内閣が、法案を出さなかったのである。
制度放置の最終責任は、形式上の立法府ではなく、実質的な制度設計権限を持つ内閣に帰属する可能性が高い。
■ 「国」――すべての責任が最終的に集約される場所
しかし、訴訟の結論として責任を負う主体は、あくまで「国」である。
金融庁も、国会も、内閣も、いずれも国家機関にすぎない。
国家賠償法は、個別機関の責任分担を問う制度ではない。
国家という統一体が、公権力の行使として違法な状態を作り出したかどうかを問う制度である。
したがって、原告にとって重要なのは、「誰を被告にするか」ではない。
国家という統一主体の内部で、どの不作為が違法を構成するかを、どう積み上げるかである。
■ 最後に問われるのは、「責任の所在」ではなく「責任の引き受け方」である
ここまで切り分けると、構図は極めて重い。
監督不作為の一次責任は金融庁にある。
立法不作為の制度責任は国会にある。
制度設計を止めた政治責任は内閣にある。
賠償責任は、最終的に国が負う。
だが、この問題の本質は、法技術的な帰属論ではない。
本当に問われているのは、誰が責任を負うかではなく、誰が責任を引き受けるのかである。
制度を作らず、監督もせず、危険な市場を放置した国家が、どのような形でその過失と向き合うのか。
それが、最終的に、この問題の唯一の政治的決着点になる。

