――違法性・作為義務・因果関係の構造
■ 問題は一つの不作為ではなく二重の不作為である
行政不作為による国家賠償を論じるとき、最大の難関は違法性の認定である。単に行政が何もしなかったという事実だけでは、国家賠償法第一条の違法性要件は満たされない。
裁判所が問題にするのは、不作為それ自体ではなく、法的に作為義務があったにもかかわらず、それを履行しなかったかどうかである。
ここで二社間ファクタリング問題を検討すると、不作為は一層ではなく、二層構造になっている。
第一の不作為は、市場を直接監督すべき金融庁が、実質貸付市場の存在を認識しながら調査、是正、処分を行わなかったことである。
第二の不作為は、その金融庁の沈黙を、内閣および国が長期間にわたり是正せず、制度として放置し続けたことである。
この「二重不作為」という構造を前提に国家賠償三要件を再整理すると、従来よりもはるかに現実的な違法性構成が見えてくる。
■ 第一要件である違法性は「裁量」ではなく「作為義務違反」として構成される
国家賠償法第一条の違法性要件において、最大の争点は行政裁量の壁である。行政は広範な裁量を持つとされ、政策判断や優先順位の問題については、違法性が否定されやすい。
しかし、本件で問題となっているのは政策選択ではない。金融庁には、貸金業法、金融商品取引法、金融庁設置法に基づき、具体的かつ個別の監督義務が明文で課されていた。
実質貸付に該当する取引を監督する義務、無登録営業の疑いを調査する義務、利用者保護の観点から是正措置を講じる義務は、いずれも裁量領域ではなく、法定責務の領域に属する。
にもかかわらず、金融庁は長期間にわたり、調査をせず、登録命令を出さず、是正指導も行わなかった。
ここで成立する違法性は、判断を誤ったという評価ではない。作為すべき義務が存在したにもかかわらず、それを一貫して履行しなかったという作為義務違反である。
さらに重要なのは、この違法な不作為が、単発ではなく、年単位で継続していた点である。
違法性は、一時点の判断ではなく、長期継続的不作為として評価されることになる。
■ 第二要件である過失は「個人の過失」ではなく「組織過失」として把握される
国家賠償における過失要件は、通常、個々の公務員の注意義務違反として論じられる。しかし、本件のような制度的不作為では、個人の過失を特定することは現実的ではない。
ここで問題となるのは、金融庁という組織全体の過失である。
違法性を示す判例は存在していた。実質貸付構造は業界標準として定着していた。被害の情報は、訴訟、相談、報道を通じて蓄積されていた。
それにもかかわらず、組織として調査を開始せず、指針を整備せず、是正措置を講じなかった。
この状態は、単なる見落としでは説明できない。注意義務を尽くしたとは到底言えない。
しかも、内閣および国が、金融庁の長期的不作為を是正せず、事実上黙認していた場合、過失は金融庁内部にとどまらず、統括機関である国全体の組織過失として評価される余地が生じる。
ここで「二重不作為」の構造が、過失要件の認定を補強する役割を果たす。
■ 第三要件である因果関係は「規制があれば防げた損害」として構成される
行政不作為型国家賠償で最も立証が難しいのが因果関係である。行政が行動していれば損害が回避されたといえるかどうかは、常に仮定の問題になる。
しかし、本件では因果関係の構成も比較的明確である。
もし金融庁が、早期に実質貸付として登録命令を出し、無登録営業の摘発を行い、包括的注意喚起を公表していれば、少なくとも市場の拡大は大幅に抑制されていたはずである。
無登録業者の排除、広告の萎縮、紹介業者の撤退によって、高率手数料市場が現在の規模にまで成長することは考えにくい。
ここで重要なのは、すべての被害を防げたと立証する必要はないという点である。
国家賠償における因果関係は、相当因果関係で足りる。
規制が適切に行われていれば、少なくとも相当部分の被害は防止できた高度の蓋然性があれば、因果関係は肯定され得る。
しかも、本件の不作為は一時的ではなく、長期継続的不作為である。
規制開始時期が一年早ければ被害は減少した。三年早ければ市場は拡大しなかった。五年早ければ、多くの倒産は生じなかった。
因果関係は、単一時点ではなく、時間軸の中で段階的に構成することができる。
■ 二重不作為構造が三要件全体を同時に補強する
ここで改めて、「二重不作為」という構造の意味を確認しておく。
第一の不作為は、金融庁が直接監督義務を履行しなかった点にある。
第二の不作為は、内閣および国が、その不作為を長期間是正せず、制度として放置した点にある。
この二層構造によって、国家賠償三要件は同時に補強される。
違法性は、単発判断ではなく、組織的長期不作為として強化される。
過失は、個人過失ではなく、組織過失から統括過失へと拡張される。
因果関係は、短期的仮定ではなく、長期放置による市場拡大という歴史的経過の中で立証可能になる。
ここで初めて、行政不作為型国家賠償は、理論上の可能性ではなく、現実的な訴訟構成として姿を現す。
■ 最大の争点は「作為義務の具体性」に収斂する
もっとも、最大の争点が残る。
それは、金融庁および国に、具体的にどこまでの作為義務が課されていたのかという点である。
一般論として、行政には無限定の監督義務はない。すべての違法行為を防止する義務を負うわけではない。
したがって、裁判所は必ず、作為義務の具体性を厳しく審査する。
しかし、本件では、作為義務の根拠は極めて明確である。
貸金業法に基づく登録監督義務、無登録営業取締義務、利用者保護義務はいずれも抽象義務ではなく、具体的な監督権限と結びついた義務である。
さらに、実質貸付性を認定した判例が存在し、被害相談が蓄積され、社会問題化していたという事情は、作為義務の具体性を一層強める。
ここまで条件が揃えば、行政に何ら義務はなかったとする構成は、法理上かなり困難になる。
■ 次に問われるのは時効と除斥期間という現実的な壁である
ここまでで、国家賠償三要件を二重不作為構造で再整理すると、理論上の構成は十分に成り立つことが見えてきた。
しかし、現実の訴訟で最後に立ちはだかるのが、時効と除斥期間である。
不作為はいつ発生したのか。
損害はいつ確定したのか。
被害者はいつ違法性を認識できたのか。
これらの点をどう構成するかによって、請求の可否は大きく左右される。
次に検証すべきは、この最大の実務的障害である。
「時効・除斥期間と救済の限界――長期放置型行政不作為はどこまで遡れるのか」
ここから先は、理論の完成ではなく、実際に請求が通るかどうかという、最も現実的な局面に入っていく。

