2社間ファクタリングが危険なのは、条件が悪いからではない。
本当の問題は、他の選択肢が見えなくなった状態で差し出されるという点にある。
利用者は自由に選んでいるつもりで、実際には選ばされている。
この「最後の選択肢に見える錯覚」は、偶然ではない。
明確に設計された結果だ。
「断られた」という事実が思考を一気に狭める
資金繰りに行き詰まった企業が最初に受ける衝撃は、銀行からの否定だ。
この瞬間、多くの経営者は「金融=銀行」という思考に縛られたまま、判断を止めてしまう。
銀行に断られた以上、もう正規の道は残っていない。
そう思い込んだ時点で、選択肢は急激に縮む。
だが実際には、銀行融資が通らないことと、資金調達手段が尽きたことは同義ではない。
にもかかわらず、この二つは意図的に混同されている。
「借入ではない」という言葉が逃げ道を一本化する
ここで2社間ファクタリングが現れる。
借入ではない。
融資ではない。
審査が違う。
この説明は、可能性を広げているように見えて、実際には逆だ。
「借入ではない」と言われた瞬間、経営者の頭から他の金融判断基準が消える。
金利比較も、返済計画も、長期的影響も、考える必要がないものとして切り捨てられる。
こうして、思考は「銀行か、ファクタリングか」という極端に単純化された二択に追い込まれる。
他の選択肢が見えなくなる情報設計
本来なら、この段階で検討されるべき情報がある。
条件変更交渉、支払サイト調整、事業の一時縮小、専門家への相談。
しかし、検索結果にはそれらがほとんど現れない。
代わりに出てくるのは、「銀行がダメならファクタリング」「最後の手段として有効」「資金繰り改善の切り札」という言葉だ。
これは現実の反映ではない。
最後の選択肢に見えるよう最適化された情報だけが残されている。
「最後だから仕方ない」という自己正当化
追い込まれた経営者は、こう考えるようになる。
高いのは分かっている。条件が悪いのも分かっている。でも、もう他に道はない。
ここで成立しているのは合理的判断ではない。
絶望を前提にした自己正当化だ。
2社間ファクタリングは、この心理状態でしか成立しない。
余裕のある経営判断の場では、決して選ばれない。
「最後の選択肢」に見えるものは、最初から危険である
本当に最後の選択肢であるなら、それは社会的に保護され、説明され、慎重に扱われるはずだ。
だが2社間ファクタリングは逆だ。
急がされ、比較を避けさせられ、相談を遠ざけられる。
これは救済ではない。
追い込まれた側だけが見る一本道であり、脱法金融が最も好む形である。
結論:選択肢が一つに見えた時点で、その判断は壊れている
2社間ファクタリングが「最後の選択肢」に見えた瞬間、
その判断はすでに正常ではない。
選べない状況で差し出される金融は、利用者を救うためのものではなく、利用者の弱さを収益化するためのものだ。
次は、さらに一段踏み込みます。
「なぜ“断れない条件”が当たり前の顔をして提示されるのか」
──条件交渉不能という異常さを解体します。

