序章 最後に残る言葉は自己責任
2社間ファクタリングを利用して経営が悪化した事業者の話は、最終的に自己責任という言葉で整理されがちです。危険性は調べれば分かったはずだ、契約したのは本人だ、他の選択肢もあったはずだ。こうした言葉は一見もっともらしく響きますが、その瞬間に問題は構造から個人の資質へと回収されます。ここで起きているのは評価ではなく、問題の封じ込めです。
自己責任は制度を免責する装置である
自己責任という言葉は、被害を個人の判断の失敗として処理する機能を持ちます。この処理がなされることで、制度設計、情報環境、支援体制といった構造的要因は問われなくなります。結果として、制度は免責され、同じ構造が温存されます。自己責任は価値判断ではなく、制度を守るための便利な言語として機能します。
情報の非対称性が無視される
自己責任論は、利用者が十分な情報を持って意思決定したことを前提にします。しかし現実には、検索、広告、比較サイトは脱法金融の危険性を十分に伝えません。専門家の警告も弱い言葉にとどまり、制度側の明確な位置づけも存在しません。この情報環境の中で下された判断を純粋な自己決定として扱うこと自体が、構造的な歪みを見落としています。
追い込まれた選択は自由ではない
資金繰りが限界に近づいた状態での選択は、形式上は自由でも実質的には制約された選択です。選択肢が削られた状況での意思決定を、通常の自己責任の枠組みで評価することはできません。2社間ファクタリングは、この制約された選択の局面にのみ現れる金融モデルであり、自己責任論はこの構造的前提を不可視化します。
自己責任が市場を拡大する
自己責任論が定着すると、脱法ファイナンスの提供側は構造的責任を免れます。危険性は周知されているという建前が成立し、被害は個人の問題として処理されます。結果として、市場は批判に晒されにくくなり、金融モデルは延命されます。自己責任は被害者を切り捨てる言葉であると同時に、市場を守る言葉でもあります。
なぜこの回収は繰り返されるのか
自己責任への回収は、説明コストが低いという利点を持ちます。構造を説明するには時間と専門性が必要ですが、自己責任という言葉は短い一言で問題を終わらせることができます。メディア、実務家、制度側にとって、この簡便さは魅力的です。その結果、構造的問題は語られず、個別の失敗談として消費されます。
結語 自己責任の手前で止める
2社間ファクタリングの問題を自己責任に回収する限り、構造は永遠に問われません。自己責任は事実の一部であっても、全体の説明にはなりません。必要なのは、自己責任という言葉に到達する前の構造を言語化することです。構造が可視化されない限り、脱法ファイナンスは合理的な選択肢として生き残り続けます。

