内側から見た国家賠償論の射程と限界――沈黙はどこまで違法になり得るか

不存在債権は「詐欺か?」「不当原因給付か?」

序章 違法かどうかは、内側では重要ではない

国家賠償が成立するかどうかという問いは、外から見れば核心に見えます。
しかし内側の感覚では、「違法と評価される可能性がどれくらいあるか」よりも、
「違法と評価されると困るかどうか」の方が現実の行動を左右します。
このズレが、沈黙を維持する力になってきました。

作為義務は原則として狭く解される

行政不作為が違法と評価されるには、作為義務の存在が前提になります。
しかし実務上、作為義務は原則として狭く解されます。
特定の金融モデルを明示的に規制せよという義務が法律上明確でない限り、
不作為が直ちに違法になるハードルは高いです。
この高いハードルが、沈黙を安全圏に置いてきました。

予見可能性があっても違法性は直ちに認められない

危険性が予見可能であったかどうかと、
不作為が国家賠償上違法になるかどうかは別問題です。
問題が予見可能であっても、
法的義務が具体化されていなければ違法性は認められにくい。
内側から見れば、この乖離はよく分かっています。
だからこそ、問題は認識されながら是正されませんでした。

因果関係は構造的被害では切断されやすい

国家賠償では、違法な不作為と損害の因果関係が問われます。
しかし2社間ファクタリングの被害は、
広告、専門家の助言、経営判断、市況悪化など複数の要因が絡みます。
この多層構造の中で、行政の沈黙と個別の損害を
直接結びつけることは極めて難しいです。
因果関係が切断されやすい構造そのものが、
沈黙を法的に安全なものにしています。

二重不作為の構造は責任を薄める

規制を作らなかった不作為と、
相談・支援制度を整備しなかった不作為が重なっていても、
それぞれ単独では違法と評価されにくい。
この二重不作為の構造は、
全体として見れば機能不全であっても、
法的責任の所在を分散させます。
内側では、この分散構造が暗黙の安全装置として働いてきました。

結語 違法にならない沈黙は、是正されにくい

国家賠償論の射程に照らせば、
2社間ファクタリングを巡る行政の沈黙は、
不当であっても直ちに違法とまでは評価されにくい。
内側の論理では、この評価可能性の低さが、
沈黙を維持する十分な理由になります。
違法にならない沈黙は、制度上は是正されにくい。
それがこの問題の最も厄介な点です。