国家賠償は“違法な不作為”でしか動かない
国家賠償が成立するためには、行政に具体的な作為義務があり、それを怠った違法性が必要になる。2社間ファクタリングや脱法金融の領域では、所管が割れ、明確な規制義務が設定されていない。義務がない以上、怠慢は法的に“違法な不作為”にならない。沈黙は、最初から責任を問われない設計になっている。
予見可能性は“統計に乗らない被害”では立証できない
国家賠償では、被害の予見可能性が問われる。だが、2社間ファクタリングの被害は統計に乗らず、行政処分件数にも反映されない。個別破綻は経営失敗として処理され、制度的被害としての蓄積が可視化されない。予見可能性は“見える被害”にしか付与されない。見えない被害は、予見できなかったことにされる。
因果関係は“経営判断”で遮断される
倒産と2社間ファクタリングの因果は、司法の場で厳密に立証する必要がある。しかし実務上、倒産は複合要因の結果と整理され、特定の金融手法との直接因果は切断されやすい。経営者の自由意思による選択という枠組みが、行政の責任を遮断する防波堤になる。
“裁量の範囲内”という最強の盾
行政が規制しなかった理由は、ほぼ例外なく「裁量の範囲内」で処理される。規制するかどうかは政策判断であり、裁量である以上、違法とはされにくい。沈黙は失策ではなく、裁量の結果として正当化される。国家賠償論は、この盾の前で機能不全に陥る。
結語|責任は設計段階で回避されている
国家賠償が機能しないのは、証明が難しいからではない。
最初から責任が成立しないように、制度が設計されているからである。
所管を割り、被害を統計から外し、因果を経営判断に回収し、裁量という盾で沈黙を正当化する。
沈黙は偶然ではない。責任を問われないために選ばれた合理的な沈黙である。

