“不作為”は責任にならない構造
国家賠償が成立するには、違法な公権力行使または不作為、作為義務、因果関係の立証が必要になる。
2社間ファクタリング、合法ヤミ金、脱法金融の放置は、ほぼ常にこの三要件の壁に阻まれる。
止めなかったことは、“違法な不作為”として認定されにくい。
沈黙は、法的に極めて安全な態度である。
作為義務は“書かれていない”
行政に明確な作為義務が課されていない限り、止めなかった責任は問えない。
グレーゾーンに置かれた金融モデルは、意図的に作為義務の外側に配置されている。
書かれていない義務は、
法廷では存在しない。
因果関係は“経営失敗”で切断される
仮に規制の遅れがあったとしても、倒産との因果関係は、経営判断の失敗として切り離される。
制度の放置がなければ破綻しなかった、という反事実の立証はほぼ不可能である。
因果関係が切断される限り、国家賠償は成立しない。
国家賠償は“最後の盾”ではなく“最初から折れている剣”
国家賠償は、行政の不作為を正す最後の砦のように語られる。
だがこの種の構造被害に対しては、制度設計上、最初から機能しにくい。
被害が分散し、違法性が曖昧で、作為義務が書かれておらず、因果関係が切断される。
この条件が揃えば、国家賠償はほぼ無力化される。
“責任が取れない構造”こそが最大の問題
個々の業者の違法性を争うことはできても、構造全体の放置責任を国家に問うことは極めて難しい。
結果として、責任は末端に落ち、構造は無傷で残る。
法は、構造の罪を裁く設計になっていない。
結語|この地獄は、合法のまま続く
2社間ファクタリング、合法ヤミ金、脱法金融が生む被害は、違法ではない形で、国家賠償の射程外に置かれてきた。
これは制度の抜け穴ではない。
制度が“そう作られている”という現実である。
裁けない構造が残る限り、この地獄は合法の顔で続く。

