「合法ヤミ金」という言葉が示すもの――2社間ファクタリングを巡る沈黙の共犯関係

ファクタリングの違法性と契約について

「2社間ファクタリングって、あれは合法ヤミ金みたいなもんだよ」。
ある経営者にそう言われて、私はその言葉が妙に耳に残った。ヤミ金という言葉には強烈な反社会性と非合法性がある一方、「合法」と冠されている。正反対の概念が並ぶこの言葉には、いまの日本社会が抱える法の機能不全、あるいは制度の空洞化が凝縮されているように思えてならない。

2社間ファクタリングとは、売掛債権を資金化する手法のひとつであり、本来であれば資金繰りに窮した企業を支える金融スキームであるはずだった。ところが、実際の現場では、手数料名目で年利換算100%を超えるような取り立てが横行し、しかもその取引の実態が「貸付」に極めて近いにもかかわらず、貸金業の規制を受けない構造となっている。つまり、金融庁の監督下にない「貸金」が、契約書の文言を巧みに操ることで合法とされ、市場で堂々と流通しているのが実態なのである。

このような現実を、「合法ヤミ金」という言葉は直感的に言い当てている。

“契約の自由”の裏で行われる収奪

2社間ファクタリングにおいては、ファクタリング業者が買い取った売掛債権について、実際の債務者には通知がなされない。つまり、取引関係上、売掛債権の存在を知るのはあくまでファクタリング業者と資金を必要とする企業(債権者)だけであり、結果として「形式上は債権譲渡、実質は貸付」というグレーな領域が生まれる。

ここで問題となるのが、“手数料”という名の搾取である。ファクタリング業者は、取引にリスクが伴うことを理由に高率の手数料を設定し、短期で回収を迫る。ところがその手数料を年利換算すると、消費者金融どころかヤミ金に匹敵する金利になることも少なくない。しかも、ファクタリング契約は貸金契約とは見なされないため、利息制限法も貸金業法も適用されない。こうして、法の網を潜り抜けた“合法的搾取”が行われている。

利用者側に落ち度はなかったのか。もちろん、資金繰りに窮した末に高コストの取引を受け入れざるを得なかったという背景はある。しかし、窮地に陥った経営者に対して、情報格差を利用しながら不利な契約を押し付け、法の不備を盾に責任を回避する構造は、まさに“合法”を隠れ蓑にしたヤミ金的手法そのものである。

司法の沈黙――“契約自由”の限界

このような構造を野放しにしてきた責任の一端は、司法にもある。確かにファクタリング業者を巡る一部の訴訟では、不当な手数料設定や債権譲渡の実態について問題視する判決も出ている。しかし、それらはあくまで個別の事例に留まり、2社間ファクタリングそのものの構造にメスを入れる判決は、いまだ少ない。

司法の場では、“契約自由の原則”が重視される。「契約書に署名・捺印している以上、その内容を一方的に無効とは言えない」という論理が、結果として事業者の弱い立場を無視する形で運用されることがある。だが、本来の契約自由とは、「自由な意思に基づく対等な交渉」が前提にあってこそ成立するものではないか。資金繰りに窮した経営者が、数日後に資金が尽きるという極限状態で「選ばされる契約」において、本当に“自由”は存在したのか。この視点を欠いた司法判断は、グレーゾーンを黙認する司法の“共犯関係”を浮かび上がらせる。

行政の無関心――金融庁と経産省の責任

次に問われるべきは、行政の対応である。金融庁は貸金業者に対して厳格な規制を課しているが、ファクタリング業者には基本的に関与していない。理由は明確で、ファクタリングは“債権譲渡”であり“貸金”ではないとされているからだ。

一方で、中小企業支援を担う経済産業省も、2社間ファクタリングのリスクについて実質的な注意喚起や制度整備を行ってこなかった。中小企業庁は一部で「資金繰り支援策」としてファクタリングの活用を紹介することさえあり、むしろこの仕組みを“活用すべき金融手段”として推奨してきた側面さえある。

だが、それは制度設計や監視体制が整っていればこその話である。現状のように「貸金でもない」「金融庁の管轄でもない」「司法判断もばらつきがある」という三重の真空地帯で、資金を求める中小企業が過剰な負担を強いられている現実を、行政が看過してきた責任は極めて重い。

立法の不作為――なぜ法整備は進まないのか

最後に、立法府の不作為について述べざるを得ない。2社間ファクタリングを巡っては、国会で問題提起されたこともある。日弁連も繰り返し注意喚起を行っており、被害事例の蓄積も進んでいる。それにもかかわらず、2025年現在においても、2社間ファクタリングを包括的に規制する法制度は存在しない。

政治家の中には、中小企業支援や“資金調達の柔軟性”を理由に、規制強化に慎重な姿勢を見せる者もいる。しかし、現実には「制度の抜け穴」を巧妙に突く業者が跋扈し、結果として“自由”という美名のもとに、極めて不健全な資金の流れが生まれている。これはもはや「自由市場の問題」ではなく、「法と制度の不在」によって引き起こされた社会的搾取である。

おわりに――“言葉”に耳を傾けよ

「合法ヤミ金」という言葉は、単なるレトリックではない。それは被害者の悲鳴であり、制度の空白を突いた搾取構造への怒りの表現である。この言葉が一般の経営者の口から自然と出てくるようになったとき、私たちはそれを“言葉の過激さ”として片付けるのではなく、むしろその背後にある「制度的不正義」にこそ耳を傾けるべきなのではないか。

司法が、行政が、そして立法が沈黙し続ける限り、ファクタリングという制度は本来の理念とはかけ離れた「合法的搾取装置」として機能し続けるだろう。いま必要なのは、制度の外に置かれた被害者の声に真正面から向き合い、この「グレーの闇」に光を当てることなのだ。