■ 「金融庁の見解」を自称する詭弁──本当に読んだのか?
「金融庁はファクタリングを『債権売買であり、金銭の貸し借りではない』と明確に定義しています」
このような一文を、あたかも“お墨付き”であるかのように前面に押し出してくる2社間ファクタリング業者が後を絶ちません。しかしこのロジック、詭弁もいいところです。金融庁の見解は確かに「債権譲渡=貸金ではない」としていますが、それは“真正な債権売買”に限った話であり、2社間ファクタリングの実態の大半はこの要件を満たしていません。
事実、金融庁は同じページで「ファクタリングを装った貸金業」に対して明確に警鐘を鳴らしている。それを故意に無視し、前段の一文だけを切り抜いて“合法宣言”をするのは、脱法金融業者特有の宣伝トリックでしかない。
■ 「リスクを引き受けない売買」は、もはや売買ではない
ファクタリングが債権売買であるための大前提は、「リスク移転」である。つまり、債権の支払いが滞ったときに、その損失を誰がかぶるのか?という点だ。
- 業者が損失を負担する → 真の売買
- 利用者が損失を負担する → 実質的な貸付
実際の2社間ファクタリング契約の多くは、「償還請求権」や「買戻特約」が密かに仕込まれており、債権回収リスクを利用者に丸投げしている。これは**“債権を担保にした高利貸し”と何ら変わらない**。
この構造をもって「債権譲渡だから貸金業ではない」と強弁するのは、タコが自分の足を食って“これは他人の肉だから問題ない”と言っているのと同じである。
■ 判例も無視した“安全神話”の押し売り
法的に何が問題なのか?それは最高裁判所および複数の地方裁判所が、すでに明確な判断を下しているからだ。
- 大阪地裁(H29.3.3):不払いリスクを負わない“名ばかり譲渡”は実質貸金
- 東京高裁(R3.7.1):弁済しなかった場合に“超過金額の支払いを誓約”→貸付と判断
- 名古屋地裁(R3.7.16):不履行リスクが極めて低い構造 → 貸金業法違反と判断
これらの判例は何を意味するか?──「ノンリコース(償還請求権なし)」でない限り、ファクタリングは“貸金”とみなされ、貸金業登録や利息制限法の適用を受けるべき」という司法の明確な意思表示である。
■ 「合法ヤミ金」と「脱法金融」を告発せよ
形式だけを整えて中身は高利貸し、そしてそれを「売買契約だからセーフ」と嘯く──これが2社間ファクタリングの実態である。こうしたビジネスモデルは、もはや**“合法ヤミ金”そのものであり、“脱法金融”の典型例**である。
- 債権譲渡を装い
- 償還請求権で回収リスクを逃れ
- 手数料を年利換算で100%超に設定し
- しかも貸金業登録なしで営業
こんなビジネスが「合法」であるはずがない。そしてその上、金融庁の“定義の一文”を切り抜いて、「国が認めている」と誤認させることこそ、最も悪質なプロパガンダである。
■ 金融庁も警告している──「構造的に貸付と同様であれば、貸金業とみなす」
金融庁はすでに明確に警告している。
経済的に貸付けと同様の機能を有していると思われるものは、貸金業に該当する可能性がある。
さらに具体的に、
- 回収リスクの移転がなされているか?
- 償還請求権・買戻特約の有無は?
- 手数料は常識的範囲内か?
これらを総合的に判断し、“偽装されたファクタリング”は違法であると示しているのだ。それにもかかわらず、ファクタリング業者が「売買だから関係ない」と強弁するのは、この公式見解を「読み飛ばしている」か「意図的に無視している」かのどちらかである。
■ 金融庁を“盾”にするな──「適法」と言うなら登録してみせろ
もし2社間ファクタリングが本当に「合法」だというなら、貸金業登録をすればいい。利息制限法に準拠し、リスク説明を義務づけ、帳簿と契約書を開示すればいい。
それができないのは、登録した瞬間にビジネスモデルが崩壊する“高利スキーム”だからに他ならない。
- ノンリコースにすれば手数料が取れない
- 登録すれば上限金利に制限される
- 審査を厳格にすれば件数が激減する
だから彼らは、あくまで「債権売買」という形を装い続ける。そしてその虚構の後ろ盾に、金融庁の定義文を切り貼りして自己正当化している。こんな言葉のレトリックで合法性を“演出”する商売は、社会的に徹底糾弾されなければならない。
■ 結語──これは“言葉の偽装による合法ヤミ金”である
2社間ファクタリングが日本社会に与えている影響は、すでに“構造的搾取”のレベルに達している。追い込まれた中小零細事業者に対し、「借金ではない」と甘言を弄し、実質的には短期超高利で金を貸し、逃げ場を封じる。
これはヤミ金とまったく同じである。ただし「合法」を装っている分、より悪質だ。
今後は明確にこう呼ぼう。
- 合法ヤミ金
- 脱法金融
- 名ばかりファクタリング
そして我々は声を上げ続ける必要がある。「金融庁の定義」を盾にした“言葉の偽装”を絶対に許してはならない。金融行政が向き合うべきは、こうした“合法の皮をかぶった違法”の現実なのだ。

