【シリーズ:ファクタリング業界の虚構構造・最終章】

ファクタリングの違法性と契約について

「広告が許された闇 ―“金融ではない”を装う危険な構造」


はじめに

ファクタリングという言葉の裏で、いま静かに拡大しているのは「合法の仮面を被った金の流通」である。
貸金ではないと主張しながら、実質的には金を貸し、回収し、弱者の資金需要に群がる。
そして──広告まで許されている。
この“矛盾した自由”こそが、デジタル時代の闇を深めている。


■ 「ファクタリングは金融ではない」――その一言の免罪符

あるファクタリング関連サイトを開くと、冒頭から「最短即日」「資金調達をスピーディに」「債権を売却するだけ」といった甘美な言葉が並ぶ。
それ自体は違法ではない。しかし、問題はこの言葉が“貸金ではない”という前提に依存している点だ。

「金融ではない」と言いながら、やっていることはどう見ても“金を渡して、あとで多く取り戻す”構造。
しかもその差額が、場合によっては年率換算で100%近い
だが、これは利息ではない。あくまで「手数料」なのだという。
その“言葉の魔法”が、今日も無数の中小事業者を合法的に追い込んでいる。


■ 「債権譲渡契約」という名のトリック

サイトでは、形式上「債権の売買」として取引が成立している。
だが、実際の資金の流れを見れば、売買というより融資と返済の往復だ。

多くのケースで、買い取られるはずの債権が譲渡制限付きであったり、
売却先が本来の債務者(取引先)には知らされない。
それでも「二者間ファクタリング」という曖昧な呼称で合法扱いされる。

この構造は、金融規制の“影”に逃げ込むための装置でしかない。
一見して契約書は整っている。電子印もあり、書面上は完璧だ。
だが、現実には“金を借りた”側が返済を止めた瞬間、取り立てが始まる。
つまり「債権売買」と言いながら、実質は「返済義務付きの資金供与」。
それを“融資ではない”と押し通すところに、この業界最大の危うさがある。


■ 「広告できる闇金」という新しい恐怖

本来、闇金は表に出られない。だからこそ“闇”だった。
だが、ファクタリングという衣をまとった瞬間、状況は一変する。

検索エンジンの広告枠には、「資金繰り改善」「最短即日入金」「与信不要」などの文句が堂々と並ぶ。
しかも、広告審査を通過している
つまり、法的には「金融業ではない」と認識されているのだ。

結果として何が起こるか。
これまで“見えなかった闇”が、堂々とネット広告として拡散する
被害者の入り口が「闇金への通路」ではなく、「公式っぽい相談フォーム」になっただけだ。
ここに最大の倫理的問題がある。

広告が打てる。SEOで上位表示できる。
それは“合法である”ことの証ではない。
法の定義が追いついていないだけだ。


■ 「無料相談」という名のデータ収奪

さらに危険なのは、サイトに仕込まれた「無料相談」フォームである。
一見、親切に見えるが、入力された情報は業者や仲介者に転送され、
見込み顧客リストとして再利用される可能性がある。

電話番号、売掛先、請求額、入金予定日──
これらはすべて、金融的価値を持つ“資産情報”だ。
相談した瞬間、そのデータは「見込みのある事業者リスト」として売買対象になる。
つまり、相談の瞬間に“情報としての資産”を差し出しているのだ。

この構造を、本人が理解しないまま「親身な相談」と錯覚している。
それが“合法”であること自体が、現代の闇の象徴である。


■ 法の空白を利用する「グレー産業」

現状では、裁判例でも「ファクタリング=貸金ではない」と判断されることが多い。
形式上の契約が整っている限り、規制の手は及びにくい。
つまり、**構造的に“ヤミ金になりにくい闇金”**が出来上がってしまっている。

だが、実態を見れば、資金繰りに困る企業から高率な“手数料”を取り、
返済義務を課し、取り立てまで行う。
それを「金融ではない」と言い張る構造こそ、まさに脱法金融の完成形だ。


■ 結語:合法という言葉が人を救うとは限らない

法律が想定していないビジネスモデルが、
合法という旗印のもとで無制限に拡大している。
だが、合法=正義ではない。
ましてや、「広告できる闇金」が現れた現状は、法の遅れがもたらした社会的リスクである。

本来守られるべきは、形式ではなく、利用者の生活だ。
「ファクタリングは金融ではない」という文言が、
一人でも多くの事業者を地獄に落とす免罪符になっているとしたら──
それは、合法の皮をかぶった暴力である。