― 偽装金融・脱法金融・AIスコア資本主義の連鎖を断つために ―
序章 合法の仮面をかぶった危険社会
表向きは「新しい金融サービス」や「資金繰り支援」と銘打ちながら、実態は高利貸しと変わらぬ搾取構造――。
こうした“合法ヤミ金”の増殖が、静かに社会の根幹である「信用」を侵食している。
危険金融は、もはや一部の闇社会の問題ではない。AIによる信用スコアリング、法の隙間を突く契約スキーム、そして情報操作を駆使したステルスマーケティング広告。それらが三位一体となって、人々の生活と心理をじわじわと締め上げている。
第一章 偽装金融 ― 「合法」の仮面をかぶった搾取
「ファクタリングです。借金ではありません」。
この一言から始まる悲劇は少なくない。形式上は「売掛債権の譲渡」だが、実態は返済義務を伴う貸付である。手数料という名の超高利、契約条項に隠された違約金、そして「合法」を盾に取った追い込み。
被害者の多くは、銀行融資を断られた零細事業者だ。運転資金の数十万円を調達するために、次々と契約を重ね、最終的には「売掛金のすべて」を担保として差し出す。
にもかかわらず、法的には貸金業ではなく「商取引」であり、金融庁の監督外――。
この構造が、いわば“合法の皮をかぶった搾取装置”を生み出している。
第二章 合法ヤミ金 ― 見えない圧力と沈黙の構造
ヤミ金は姿を変えた。暴力も脅迫もない。代わりにあるのは、**「契約書」「手数料」「和解条項」**という法の衣装だ。
被害者は声を上げられない。なぜなら、契約書にサインしたのは自分だからだ。違法金利を訴えようにも、「貸金ではない」という形式論で裁判所は門前払い。行政も動けない。警察も「民事不介入」。こうして、救済の窓口が存在しない社会的真空地帯が生まれる。
そして彼らは、SNS広告や比較サイトで“第三者の顔”を装う。「顧客満足度No.1」「安心の資金調達」――そうした虚偽のコピーに惑わされ、被害者は次の被害者を生む連鎖へと巻き込まれていく。
第三章 脱法金融 ― 法の隙間に潜む新しい搾取構造
脱法金融の巧妙さは、**「誰も違法行為をしていない」**ように見せかける点にある。
契約上は債権譲渡、資金提供者は「取引相手」。しかし実態は、返済義務を前提とした高利貸しだ。
さらに悪質なのは、AIスコアやデジタル信用評価の導入だ。これにより、被害者の属性や過去の遅延情報が自動的に業者間で共有され、「低スコア者」にはより高い手数料が課される。
信用を失った者ほど、より搾取される――。
これが、AI資本主義が生み出した新たな“階層化された金融差別”である。
第四章 制度の共犯 ― 行政・司法・広告の無言の連携
ここに最も深い闇がある。
被害者が声を上げても、行政は「所管外」、司法は「契約自由」、広告プラットフォームは「掲載基準に適合」と答える。誰も責任を取らない。
制度は沈黙のうちに共犯となる。検索サイトには提携広告が並び、金融比較サイトはアフィリエイト目的で「安全な資金調達サービス」として危険業者を紹介する。
これが、筆者が名づける**「ステルスマーケティング国家」**の実像である。国家は暴力的ではない。むしろ、広告と制度の無関心によって、静かに国民の信用と資産を侵食していく。
第五章 信用の崩壊とAIスコア資本主義
信用は「データ化」された。AIスコアが個人の過去を解析し、企業がそれを基準に取引の可否を判断する。
一見公平に見えるが、実際は違う。アルゴリズムは透明ではなく、誰も修正できない。誤った情報が登録されても、訂正の道は遠い。
このAIスコア社会の恐ろしさは、「社会的信用を失うリスク」が永続する点だ。
たった一度の遅延、一件の契約トラブルで、以後すべての金融アクセスが遮断される。結果として、人々は正規金融から排除され、再び“合法ヤミ金”に頼らざるを得なくなる。
こうして、AI資本主義と危険金融は表裏一体の構造を形成する。
第六章 再構築 ― 信用社会を取り戻すための設計図
1. 制度改革 ― 「実質基準」での規制へ
貸金業か否かではなく、「実質的に利息を取る行為」であるかを基準にする。形式上の債権譲渡や仲介契約でも、搾取構造があれば明確に規制対象とする。
2. 情報透明化 ― AIと広告の可視化
AIスコアの算定基準を公開し、訂正権を保障する。
また、金融広告・比較サイトには「広告である旨」「提携先リスト」「手数料情報」の明示を義務化。ステマの温床を断ち切る。
3. 教育と救済 ― 再起できる社会へ
被害者が再び正規金融に戻れるよう、救済基金と相談機関を設立。
同時に、学校教育・職業訓練の段階から金融リテラシー教育を体系的に導入し、「危険金融に近づかない力」を養う。
終章 未来への設計図
危険金融、脱法金融、合法ヤミ金、AIスコア資本主義――それらはいずれも“制度の穴”を突いた存在だ。だが、その穴を埋めるのは、国家ではなく、市民の側の理解と監視の力である。
信用社会を取り戻すために必要なのは、制度の改革と同時に、「透明性を要求する文化」である。
誰もが自らの信用をデータとして管理され、評価される時代において、真に自由な社会とは、**「自らの信用を自らの手に取り戻す社会」**である。
その設計図を描き、実現すること――
それこそが、私たちがこの「危険金融社会」に対して最後に掲げる、再構築の誓いである。

